「歴史編13」戦国時代① 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

明日から使える!EriEriのバスガイド丸秘ネタ!

只今、歴史編をシリーズでお届けしております♫

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歴史の話はこのまま使うというより、ざっくり頭にいれておくと観光地の案内をするときに話をつなげられるようになったりお客様への説明がわかりやすくなるので基礎といった感じで記録にのこしていきます!

縄文時代から大阪の陣まで・・・今回は「戦国時代」

応仁の乱で京都の町は焼け野原になってしまいます。

そこで守護大名たちは都を離れ、親類をたより、地方へとお引越し。

その地に京の文化をひろめ、京の都のようなまちづくりをしたのが「小京都」と言われるように。

小京都には3つの条件があるようで

①京都に似た景観・町並みがある。

②京都と歴史的なつながりがある。

③伝統的な産業・芸能がある。

この3つの条件をみたす「小京都」が全国に30カ所ほどあります。

そんな、きっかけをつくった応仁の乱以降「身分なんて関係ねぇ!実力でのしあがってやる!」という人たちがでてきます。

実力のある大名が残っていく中、彼らは城をつくりその城を拠点に領地を守り、広げていきます。

例えば、上杉謙信、武田信玄、斉藤道三、毛利元就、今川義元など。

中でも「織田信長」がすごい!

元々、守護の家来の家来という家柄で、実力で本家の織田家を打ち破り、尾張の領主になります。

信長が一躍有名になったのが「桶狭間の戦い」

これは、駿河の今川義元が将軍に挨拶をしに上洛する、というときに京都まで他の大名の土地を通ります。

「どうぞお通りください」なんてわけないいで、京まで戦いながら向かうしかありません。

今川は京都まで2万5000の兵をひきつれて出発。

この今川軍がとなりの「尾張」を通ることになるんですが、もちろん信長がだまっていない。

なんと2000人の兵で迎え撃つことに。

10倍近くの敵に戦いを挑もうとしていたため「信長、勝てるわけないじゃん!」と思われていたんですが

「桶狭間」というところで休んでいた今川義元に奇襲をかけて信長が勝ってしまった!

みんな、びっくり!今でいうと、入門したての新弟子が横綱に勝っちゃった!みたいな感じで、信長は一躍有名に。

この桶狭間のあとは、奥さんの濃姫の父である「斉藤道三」の仇討ちにいきます。

斉藤道三を殺したのは息子の義龍。

その義龍が守る稲葉山城を攻めるときに、拠点となる「墨俣城」を築いたのが家来の「木下藤吉郎」

この戦にも勝った信長は「岐阜」と名前を変えて、岐阜を拠点に活躍します。

信長は戦いだけでなく政治に長けていました。

有名なのが「楽市楽座」といって、商売を完全に自由にしました。

ます【市】で商売をするとられていた税をなくしました。

そして【座】という商人の組合のようなところが特権を与える代わりにお金をとっていたけどこれを廃止にしました。

すると商人たちが沢山集まって町がにぎわりお金が動くので、国が豊かになります。

そんな中で、時の将軍13代・足利義輝の弟である義昭が信長を頼ってきます。

信長は弟・義昭をたてて上洛した後、その力で15代将軍にしてあげました。

しかし、信長は「将軍なんておかざりでいい、言うこと聞け」という態度。

それに対して義昭は「俺は将軍だぞ〜、命令を聞け!」と。

将軍といっても力のない義昭はあちこちの大名にこーっそりと「信長を討て!」と命を出しました。

それに答えたのが

○武田信玄
○朝倉義景
○石山本願寺
○比叡山延暦寺

こうなると信長も受けて立つしかなくまずは「朝倉征伐」から向かうことに。

朝倉征伐に向かうためには「浅井長政」の領地「近江」をとおらなくてはなりません。

この「浅井長政」に嫁いでいたのが「信長の妹・お市」

戦国時代で涙なしでは語れない、お市の方と3人の娘の話はこの朝倉征伐からはじまります。

では、今回はここまでに*^^*

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