「歴史編11」鎌倉時代② 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

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縄文時代から大阪の陣まで・・・今回は「鎌倉時代②」

鎌倉時代でおさえておきたいのは「蒙古襲来」

当時、中国大陸を支配していた「モンゴル帝国」と、そのモンゴル帝国が征服した「朝鮮の高麗」が日本に攻めてきます。

モンゴル帝国の国号が「大元」で、侵略を意味する「あだす/寇す」から「元寇」と呼ばれます。

巨大なモンゴル帝国をつくったチンギス・ハンの息子である「フビライ・ハン」が日本に属国になれ〜!と使者を送ってきていたのですが、幕府はこれを拒否し続けました。

フビライ・ハンがおこって日本に攻めこめ〜!と2回やってくる。

1回目は1274年・・・文永の役

2回目は1281年・・・弘安の役

その戦いの場が「北九州」

幕府は御家人をあつめて海沿いに「防塁」という壁のようなものをつくって迎え撃つのですが、大苦戦します。

その理由は「戦い方」

それまでの日本の戦というのは「まず名乗り合ってから」

例えば、戦う前に武将が前に出て「やいやい!我こそはどこそこの誰これで」とお互いに名乗る。

ですが、相手にそんな習慣はないので名乗っている間に集団で襲われてしまう。

もう、一つは「火薬をつかってきたこと」 

これは大きい花火くらいなんですが、ドカン!という音に馬が驚いて、旨辛振り落とされてしまう。

これに、大苦戦していたところ「大風」が吹いて「元」は撤退する。

幕府はこれを「神風」と呼び、喜んだ。(台風だった)

この大風に助けられて勝利したけれど、元々持っている土地を守っただけだから、幕府が御家人たちにあげるご褒美=土地がないんです。

要するに「タダ働き!」

御家人たちは、戦に勝ったら土地がもらえるんだからと戦にかかるお金を全て自腹でまかなっていた。中には商人からお金を借りて戦に来ている御家人も多かった。

そこで幕府は考えます・・・「そうだ!その借金返さなくていいぞ!」と言い出したんです。

御家人は喜んだけど、商人はびっくり!

だったら、二度と御家人にお金は貸さない!ということに。

すると、土地ももらえない上に、借金もできなくなった御家人の生活は苦しくなるばかり。

もう、幕府に対する御家人の不満は爆発寸前!

鎌倉幕府はどんどん滅亡の道へ。

今度は天皇家の中で争いが。

発端は88代「後嵯峨天皇」のとき。

後嵯峨天皇は長男に位をゆずって、自分は上皇となり院政をおこなっていたのですが、実は「次男」が可愛くて仕方がないんです。

なんと!次男にも天皇をさせてあげなさい、と次男も天皇にしちゃう。

長男が「後深草天皇」
次男が「亀山天皇」

しかし、困ったことにどっちが次の皇位を継ぐかを決めないまま、父「後嵯峨天皇」がなくなってしまう。

どっちの子を次の天皇にするかで天皇家が割れてしまう。

そこで幕府が出した提案が!

「交代で天皇になったらどうです?」

天皇家は素直に「おお、そうか!」と聞き入れてしばらくはこれで天皇を決めていました。

が、順番が回ってきた天皇の一人「後醍醐天皇」はこの交代制度と幕府が気に入らない!

そこで、こっそり幕府を倒す計画をたてました。

すぐ、バレました、笑。
そして、隠岐の島への流されてしまいます。

島から脱出した天皇は鳥取県の船上山にたてこもり幕府と戦いました。

後醍醐天皇と戦うために、幕府が大将にした二人のうちの一人が「足利尊氏」

なんですが、足利尊氏は天皇側に寝返ってしまうんです。

そして、幕府も「新田義貞」に攻められ、執権「北条高時」は自害。鎌倉幕府は滅亡となります。

鎌倉時代はここまで*^^*

次回は「室町時代」です。

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