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군산시/Gunsan/群山 - 韓国旅行記(旅行というか週末の過ごし方)

私が関わっている鳩の街通り商店街では、レトロカフェにやってくるカップルや、カメラを首にさげたおじ様集団、着物でまちあるきをする女性たちや、バインダーを手に調査を行う学生、近所のおっちゃんや子どもたちと様々な人の姿を見ることができます。

色々な人が訪れる理由は歴史的背景が複雑だから。関東大震災や東京大空襲を経験した町並みが持つレトロな空気、古い町並みとそこに暮らす人々が培っている防災の知識、元花街という物語が持つ建物へのノスタルジー等々。入り口から出口まで往復しただけではこうした背景の全てを知ることはできません。街に歴史あり。この言葉を体感しています。

当たり前のことですが、歴史を持つ街は世界中、地球上、いたるところにあります。歴史の積み重ねを知ることで、目に入る情報よりも複雑で豊かな物語を経験することができるのです。

今回、知人のアーティストに連れられて訪れた群山でもこうした重みを強烈に感じることとなりました。

作品制作のお手伝いをしたこともあるアーティストに、商店街のある向島エリアのように街の過去や現在に変化の歴史がありその変化や歴史を資源として活用している(もしくは活用しようとしている)場所を見たい、と伝えると生まれ故郷である群山を案内してくれることになりました。

群山まではソウルからバスで片道3時間。週末だけの韓国旅行だから小さく細かくギャラリーや美術館をめぐる予定が、想定外の小旅行となったのでした。途中サービスエリアでトイレ休憩。軽食をつまみ背伸びをし、バスに戻る。普段日本のバス旅行でしている同じことをしてしまいます。外国とはいえお隣さん。近い部分が多いですね。

その土地にある日本家屋を活用した観光施策で名の通った群山には、歴史を感じさせるたたずまいのカフェやギャラリー、アート関係の団体が入居しているアートスペースや博物館などが点在しています。訪れる人のほとんどが韓国国内からのようで、博物館のキャプション以外はほぼハングル。テレビドラマや映画のロケ地にもなっているからか、自撮りや集合写真を撮る観光客で賑わっていました。

1945年まで米の移出地として栄えた群山は1899年の開港までは小さな漁村。(アーティストのご実家は漁業者に氷を売る氷屋さん)日本の植民都市として近代化を迎えたことから、終戦後/解放後は「敵産家屋」/「負の遺産」として放置されてきたそうです。

しかし2009年の「近代産業遺産活用芸術創作ベルト化事業」という大きな流れの中、群山の「敵産家屋」/「負の遺産」を「文化や芸術の創作空間として活用し、地域文化振興と観光資源として」活用する流れがこの街に訪れました。

例えば石造りの大きな博物館。この場所は、芸術創作ベルト化事業以前はカラオケ喫茶として使われていたそうです。博物館内にあるカラオケ喫茶の模型から伝わる見捨てられた感じは何とも言えない気持ちになります。

中途半端に壊された日本家屋を観光資源として「独自に修復して」活用している施設も散見されました。しかし「独自」さのせいか、日本家屋としての佇まいは感じられません。なんかよくわからないけど日本っぽい意匠をイメージして作ったフェイク、としか言えないものがもつクロスカルチャーな面白さは確かにありましたが。

未活用な建造物もたくさんありました。ソウルから3時間も離れた場所ですから、観光も苦戦しているのでしょう。

急に私と文字の前に立って「ここは見ないでね。ちょっと強い表現だから。」と笑いながら語りかける友人。どうやら「日本の帝国主義支配に苦しめられた」といった歴史を少し強い言葉で書いていたそうです。日本が何をしてきたのかという記録の中を歩くのは、少しばかり心臓が圧縮されるような体験でした。ただ、そうした表記が日本人を責めたてる目的でないことは伝わります。事実を、たとえそれが抑圧された経験で消したい過去だったとしても、残すことは覚悟のいることです。

韓国社会において『植民地以降』を問う視点が多様になりつつあると言います。今回案内してくれたアーティストも似たようなことを言っていました。歴史の捉え方が、今まさに変化している中に生きているんだと実感させられました。


内容については以下のテキストを参考にしました。

http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/0000029180.PDF

http://www.mishima-kaiun.or.jp/assist/report_pdf/2010c/25_nh22.pdf

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