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赤字が入らないからといって、必ずしも「いい原稿」とは限らない

書き手の皆さん、「赤入れ」って好きですか?

赤入れって、戻ってくると受け取った側は落ち込むんですよね。

私もライターとして書いた原稿にびっしり赤字が入ってくると、実力が足りない!と言われているようで凹みます。

でも、赤入れする側(編集者)の立場で考えると、
赤入れが少ない原稿=いい原稿とは限らないように思います。


まず、媒体にとって大事な企画であるほど、
編集者側にも「こういうことを伝えたい!」といった思い入れがあります。

つまり原稿に対する期待度が高い。

一方、例えば記事数があればあるほどいい、という媒体であれば、
内容にそれほどこだわりがないことも。

「こういう原稿がほしい」というイメージが具体的であるほど、
インタビューであれば当日の話の内容が面白いものだった時ほど、
編集側はライターと議論したくなる。

ライターから上がってきた原稿を読んで、思考が刺激されるものだった時はなおさら、

「こういう表現はどうか?」
「こっちのエピソードを際立たせたいから、先に持ってきたい」
「この一言は絶対伝えたいから、前置きはもう少し削りたい」

などなど、オーダーが具体的に湧き上がってきます。

それって、インタビューで面白い話を引き出せたからだったり、
編集者が大事にしている企画を、
このライターならもっと良くしてくれると思っていたりするからであって、

「文章が下手だから」という理由で赤入れしているとは限らないですよね?

また、赤入れして戻すことって、
戻す側にもある程度の覚悟が必要です。

修正指示を入れられることは
気持ちがいいことではないとわかっているので、

ムッとされるかもしれない、
次から仕事を受けたくないと思われるかもしれないという思考は、
一瞬頭をよぎります。

それでも修正を依頼するのは、
ひとえにいいものをつくりたいから。

そのためにライターに協力してほしいから、です。

どうすればより伝わるいい原稿になるか、いっしょに考えてほしいから。

だから赤字がびっしりの原稿は
ライターへの期待だと思って、
先方の意図を想像しながら誠実に対応するように心がけています。

むしろもっと落ち込むべきは、次の依頼がないこと。

もちろん媒体の都合もありますが、
期待に応えられていたら自然と、
「また頼みたい」と思ってもらえているはず。

次もあるはずなのに声がかからない時は、
「何が良くなかったんだろう」ともう一度原稿を読み返したり、
媒体の他のライターさんの原稿を読んでみたりして、
自分なりに分析するようにしています。


赤字は、期待。

むやみに自分を否定したり、
いじけたりしないように、
うまく付き合っていかなければ。


「ライティングコーチ」では、期間中ご自身が書かれた原稿の添削を回数無制限で行っています。ブログやSNSの発信記事など、客観的なアドバイスを受けることで自分のクセや特徴が見えてきます。


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