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MF Doomというラッパーについて 3/3

・コンセプチュアルな作品:『The Mask and The Mask』『Born Like This』

 05年の11月にリリースされたDanger Doom『The Mask and The Mask』MF DoomとプロデューサーDanger Mouseによるコラボレーション作品です。

米アニメ専門チャンネル「カートゥーン ネットワーク」の「Adult Swim」(大人向けに番組を編成するために設定した放送時間帯の名称)で放送されている番組をサンプリングしたビート上でMF Doomがラップをするという、コンセプトを持ったアルバムとなります。秩序だったサウンドを好むDanger Mouseは、リスナーを飽きさせることなくDoomのラップを引き出すことに成功しています。ただ、非常に理知的であるが故にDoomによるセルフ・プロデュースのようなマジックを求める向きには物足りなさが残るかもしれません。

テーマに沿ってラップをすることが好きなMF Doomは水を得た魚のように饒舌です。陰鬱な雰囲気や自己言及的な難解さは排除された一方で、愛好するアニメーションからインスピレーションを得て、愉快で漫画的な言葉遊びに興じています。

"Sofa King"の冒頭は『Aqua Teen Hunger Force』のサンプリングから始まります。ここで引用されているのは「I am Sofa King and We Todd Ed」という台詞です(早口で言うと「I am So Fucking Retarded」(私は終わってる知恵遅れです)と聞こえるっていうジョーク)。『Aqua Teen Hunger Force』の登場人物である、擬人化されたファストフードから着想を受けたのか、早速Doomは「Order a rapper for lunch and spit out the chain」(ラッパーをランチに注文する、食ったらチェーンは吐き出す)と、痛快に暴れ始め、これ以降お得意の食事ネタを交えながらライミングしていきます。また、若ハゲに悩まされる少年が主人公のアニメ『Perfect Hair Forever』をサンプリングした"Perfect Hair"では、曲名の通り髪の毛に纏わる不思議な力を狙うヴィランを演じています。

Doomはこのアルバムの繋がりで、Danger MouseのプロデュースするGorillaz『Demon Days』(05年3月)にも参加しています。しかしここではナンセンスで痛快な『The Mask and The Mask』とは打って変わって、極めて厭世的なヴァースを提供しています。Doomはこの時点で、当時のヒップホップ・シーンに辟易してしまっているようにも感じられます。

実際、その後の3年間において、多作家だったDumileは嘘のように活動を停止してしまいます。健康上の不安が噂されましたが、度々言及する商業的なラップの隆盛とオルタナティブなラップシーンが次第にメジャーに飲み込まれていく状況、他にはMadvillainの成功を受けてもはやMF Doom自身が象徴的な存在になってしまったことも影響しているのかもしれません。

3年のブランクを経て09年にリリースされた『Born Like This』は、MF Doomがプロデュースした楽曲に加え、MadlibJ Dilla、それとJake Oneが超悪役の登場に相応しいサウンドを提供しています。

案の定と言うべきか、本作には『Special Herbs』シリーズに収録されていたビートやJ Dillaの傑作『Donuts』に収録されている誰もが聞き覚えがあるようなビートが流用されており、多くの人に既聴感を覚えさせました。ただ、幸いなことにDoomのラップが期待を裏切ることはありませんでした。

本作を特徴付けるのはその不気味な雰囲気にあります。このポスト黙示録的な世界観は『Born Like This』というタイトルの参照元であるCharles Bukowskiによる詩「Dinasaur, We」からの影響が大きいものと思われます。実際、"Cellz"ではBukowski本人による詩の朗読音声が引用されています。恐竜たちが絶滅した白亜紀のように過酷で救いのない世界(資本主義のメタファーでしょうか、それともラップ・ゲームのメタファーでしょうか)に生まれ死んでいく我々、この荒涼とした風景はヴィランの登場にピッタリです。

このトーンに合わせて、Doomのラップはくぐもった声とかすれた発声が強調されています。『Born Like This』で最もカルトな"That's That"はこの世界観における表現の極北と言ってもいいでしょう。本人のプロデュースによるトラックは弦楽器による怪しい響きがループしたもので、不穏な雰囲気を醸し出します。ラップを聞いてみてください。ここでは畳み掛けるようなライムだけでラインが構成されています。その一方で、内容は非常に抽象的なものに留まっています。さらに曲の終盤に至ってDoomは、悪びれもせずにBiz MarkieSlick Rickを連想させる鼻歌を披露し、混乱は頂点に達しています。黙示録的な世界観と極めてライム・オリエンテッドなラップの奇妙な調和をどのように見るかで、この曲の評価は分かれるところです。

・イギリスへの「亡命」:『Key to the Kuffs』

Dumileは元々ロンドンに生まれましたが、生後すぐにニューヨークに移り住みました。その後、ラップで名を馳せることになりましたが、アメリカ市民権を取得していなかったため、10年に行ったヨーロッパ・ツアー中にアメリカへの再入国を拒否されてしまいます。サウス・ロンドンに移住したDumileは「アメリカとの関係は終わった、大した話じゃない。」とインタビューに応えていますが、アメリカに住んでいた妻子とは数年の間ビデオ通話でのみしか会うことが出来ない状況が続いていたそうです(その後妻子もロンドンに移住)。

12年にプロデューサーJneiro JarelとのユニットJJ Doom名義でリリースされた『Key to the Kuffs』はそのことが強く反映された作品になっています。

"Banished"では曲名の通り、再入国拒否の顛末について皮肉たっぷりにスピットしています。相変わらずのライム主義者ではあるものの、再入国拒否という実際の顛末を描きながらそこにヴィランとしての視点を滑り込ませていく手腕は彼の十八番であり、そのスキルは些かも衰えていません(「スペイン人でも無いのに、アメリカから締め出された」は如何なものかと思いますが……)。同様にロンドンでの生活を描写する"Borin Convo"も面白いです。

While in London town he sported a chrome Kangol
And did his best to blend in

このラインはユーモラスですね。慣れないロンドンでDoomは一生懸命街に溶け込もうとしてKangol(ヨーロッパ人がよく着用している)を被っていますが、マスクに合わせてか、その帽子は合金製のようです。また、このラインはKangolを被った最も有名なイギリスのラッパーSlick Rickへのリスペクトかもしれません。

ベスト・トラックは離れてしまった妻への想いをライムする"Winter Blues"でしょう。ここではDoomの見過ごされがちなロマンティックな側面が展開されています。無論、彼はヴィランであり「Fuck masturbating, I'd rather wait then」と嘯いたりもするのですが、そのことはよりDumile自身のエモーションを強調しているように聞こえます。Viktor Vaughn"Let Me Watch"MF Doom"Guinesses"のように、アルバムの後半に1曲このような曲を置くのはDumile自身の拘りのようです。JJのビートもどこか温もりを感じさせる叙情的な仕上がりです。

『The Mask and The Mask』『Born Like This』といった作品と比較すると、本作は統一的なコンセプトが不足していることは確かです。また、Jneiro Jarelのビートはかなり多様な音楽的バックボーンを感じさせる一方で、クラシックなヒップホップ・ビートとは距離を取っています。このように一見するととっつきにくい作品ではあるのですが、JJは1つのトラックに複数の仕掛けを施す才人であり、そのことはコラボレーターの多様な魅力を引き出すことに成功しています。相変わらずの業界批判モノ"Bite the Thong"も新たな響きで聞こえますし、遺伝子組換え作物について警鐘を鳴らす"GMO"といった新機軸の開拓にも成功しています。

・Rapper's Favorite Rapper :『NehruvianDoom』『Czarface Meets Metal Face』

 ロンドン移住後、MF Doomはラッパーとのコラボレーション・アルバムを2枚作成します。Bishop Nehruとの『NehruvianDoom』と、Czarfaceとの『Czarface Meets Metal Face』です。

 13年、当時16歳であったBishop Nehruと出会ったDoomはそこから親交を深め、アルバムを制作することになります。彼らはメールでやり取りをし、Doomが作成したビートに対してBishop Nehruがライムを送り返すという形で『NehruvianDoom』は制作されました。

ここでDoomはメンターのような存在感を放ち、基本的には若きラッパーのサポートに回っています。案の定、熱心なファンには聞き覚えがあるトラックもありますが、"Mean The Most"などでは新たなビートが仕立てられており、全盛期に劣らぬラフで直感的なサンプリング・アートが展開されています。

Bishop NehruJoey Bada$$らと共に当時のmixtapeシーンから名を挙げた、ブームバップ再興主義者の1人でした。ここで彼は必ずしも確固とした主題や視点を持ち合わせているとは言えませんが、久し振りにDoomが制作したビートを乗りこなすスキルは既に持ち合わせています。また、Doomは登場こそ多くなく、ヴァースも基本的にはワードプレイに徹していますが、ティーンネイジャーらしく自意識が暴走しがちなNehruに対しては、奇妙な形で瞑想を促しています("OM")。

『NehruvianDoom』は若きラッパーとのコラボレーションでしたが、その4年後にリリースされた『Czarface Meets Metal Face』は共に90年代後半を盛り上げたベテラン同士のコラボレーション作品です。

Czarface7L & Esotericというボストンのアンダーグラウンド・ヒップホップ・デュオとWu-tang Clan構成員Inspectah Deckによるプロジェクトです。ボストンにおける非常にタフなブーンバップ・サウンドで名高いベテラン7L & Esotericによる99年作『Speaking Real Words』の表題曲に招いたことからInspectah Deckとのコネクションから始まり、11年からCzarfaceとしての活動がスタートしています。また、7L & Esotericはボストンを拠点とするBrick Recordsの看板ミュージシャンですが、このBrick Recordsから00年、MF DoomMF GrimmとSplit EPをリリースしています。ある時代においてオルタナティブなラップ・シーンを共に作り上げていたベテラン同士、近いものを感じていたのかもしれません。

アメコミ趣味を共通する彼らによる『Czarface Meets Metal Face』Czarfaceが元々指向していた極めて凶暴で濃密な伝統主義的ブーンバップ・サウンドにDoomのサイケデリックでラフな感覚が注ぎ込まれた、非常に面白い作品です。特にアンダーグラウンドのラップを追っている人種にとってはたまらないのではないでしょうか。

Open Mike Eagleが客演した"Phantoms"は特に素晴らしいです。タイトルの通り、幽霊をテーマに各々がヴァースを繰り広げるこの曲においてDoom"93 Til Infinity"を引用しながら相変わらずナンセンスにストーリーラインを展開していきます。しかしながらそのライミングは淡々と落ち着き払っており、且つスムースで風格に満ちています。マイクをそのまま受け取ったOpen Mike Eagleによる、Doomリスペクトを隠さないこれまたナンセンスなヴァース(ヒットポイントの高い幽霊と喧嘩して負けた後、ビットコインの購入を薦められるところからスタートします)との、新旧対比も興味深いです。

 そして今となっては、この作品がMF Doomによる最後のまとまったアルバムとなってしまいました。ラスト・アルバムに相応しい作品なるものが、そもそもあるのかどうかはわかりませんが、とにかく彼のラップをまだまだ聞きたかった、というのが正直なところです。



 自分の能力の都合上、客演仕事やリミックス・ワークに言及出来なかったのは痛恨の極みです。彼は時に成功し時に失敗しながら、晩年までかなり活発にヴァースを提供していました。具体的には近年のものだけでもDJ Muggs"Death Wish" "Assassination Day"RZA"Biochemical Equation"、そしてDoomstarks"Victory Laps"などは聞き逃がせません。また、Flying Lotus""Masquatch"や、The Avalanches"Frankie Sinatra"への他ジャンルの才人たちへのヴァース提供もトピックでしょう。

締めくくりとして、MF Doomが最晩年に客演した曲を共有したいと思います。このヴァースの最後に放たれる言葉にどのような響きを見出すか。彼は何気ない言葉に複雑な意図を挿入することの達人でした。それが最後の最後まで徹底されていたことに、思いを馳せずにはいられません。


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