不登校の私が学校を辞めるまでⅤ

みなさん明けましておめでとうございます!!
未熟者ですが今年もよろしくおねがします!


前回のあらすじ↓↓↓


12/19に終業式があり、その時に去年のいじめのことについての話し合いをしました。
「なぜ1年経って?」となった人もいると思うので説明をすると、前回のnoteに書いたように去年の12月に謝罪の言葉を受け取ったのですが、ただただ一方的に謝罪をもらっただけでなので、それで全部終わりにもできず、ずっとモヤモヤしたままでした。自分も相手の言いたいことを一生知らないまま聞きたくないこと、見たくないものには蓋をして、上辺だけの付き合いを続けるのも今の自分は楽ですが、そんな状況も長くは続かないと思い、そして不登校になり、高校受験を決意したことが「今回の話し合いをやろう!」と決めることのできた1番の理由だと思います。

ただ、この話し合いなのですが、実現するまでに色々とトラブルがあったのでそのことも書いておくと、
まず先生から話し合いのことについて打診があり、当初は担任と教頭の立ち合いのもと行うことになりました。そこから加害者生徒3人のうちの1人(去年の冬に謝罪を受け取った人のうちの1人)とやることになりました。後の2人のうち謝罪をもらった1人は、去年の先生方の指導に不満?不信感があるそうで話し合いを拒否され、もう1人はというと「今は気持ちの整理がついていないからそんな状況じゃない。」と言って断られました。(ちなみにこの子は話し合いの後、相手の子のことを待って一緒に帰ってたので話し合いをする時間はあったみたいです。)
3人のうちの1人と話し合いができると決まったものの、相手から教頭と担任ではなく学年主任を入れて欲しいという要望が来ました。その後立ち会いの先生を誰にするかについて、なかなか話が決まらず学校側は相手側の要望を押し切ろうとしていていました。私としては、学年主任がその場に立ち会うことについては抵抗がありました。学年主任は相手側にかなり忖度していて、今年になってから相手側を庇うようなことしていて、あまり中立ではないと思ったからです。しかし、担任と教頭がいるのなら良いと思ったので「教頭と担任は絶対」という折衷案を出しました。しかし、その折衷案も理解してもらえなかったため終業式の前日になって話し合いを断ることにしました。断ったので、話し合いは消えたと思って次の日に登校しましたが、結果的には話し合いをやることになりました。当日になって話し合いをやることになった経緯を書きます。終業式の時に、私は担任面談をやりました。
先ほど書いたようにこちらが断って話し合いは無くなったのですが、担任面談の時に「今、相手の子を待たせてるから。」とか「相手の子が京都がいてもいいって言ってる」とか「今日ならちょうどいいから話し合いやろうよ」とか終わった話を持ち出してきて、何もないと思ってきていたし、用事もあったので早く帰りたかったので断ったのですが同じようなことを言って言葉巧みに誘導されて、話し合いをすることになりました。話し合いについてはというと、相手は教頭がいるので猫をかぶっていてずっと下を向いていて、促されてもあまり話さず、謝りもせず、「悪かったと思ってます」という言葉を1回言っていて、私はなぜか「ごめんなさい」と謝ってばかりでした。相手の言い分はというと、私の嫌だった部分は、怪我のことをきちんと伝えなかったことでもなく、雑用にこなかったことでもなく、怪我をしていたくせに走っていたことが許せなかったそうです。走ってたとは言っても2回くらいだったし、体育の授業も休んでいて、ダッシュしたわけでもなかったのですが、相手のその言葉を聞いた瞬間、「そんなことのために私はいじめられてたのか」と思えてあきれというか残念というかなんとも言えない気持ちになりました。
これで、ある意味スッキリしたと思います。これからは受験勉強により一層励んで、学校を辞めるための準備を着々と進めていこうと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?