居たい場所を考えたら、自分がアップデートされました
10代の頃から
自分のことより人のことばかり見えていて、
人のことを羨んだり、
あの人だからできるとひがんだり…
そんな私は、
「会社や人に対して、いつも同じ愚痴を言っている」
「同じ愚痴を言う人達が集まる」
場にいることが多かったのです。
ただそんな時間の中で、
「一生愚痴ばかり話す空間にいたくない」
「愚痴ばかり言う自分でいたくない」
「この時間からなにも生まれてないよね?」
そんな、
「今の自分が好きじゃない」
「一生この空間にいたくない」
という気持ちに気付き始めました。
逆に、私にとって憧れる人、
私もそんな風になりたい!
なんか気になる!方たちを見ていると、
「自分で未来を切り拓くための行動ができている人」
だということも分かりました。
*****
そこから私は
愚痴ばかりになる集まりへのお誘いを断り、
会う人を変えたり、
そして何より、
「自分のために時間を使おう」と、
料理教室に通ってみたり、
ヨガ教室に通ってみたり、
用事がなければ行けないと思っていた
都会に身を置いてみたり、
一人旅に出たり。
愚痴の時間を自分に欲を満たす
時間に変えていきました。
*****
そんなことを1年ほど続けた後、
久しぶりに離れていた友人たちの
お誘いに戻りました。
1年自分に集中してから会った友人たちは、
日常に対して思っていることはたくさんあれど、
それがエネルギーになって日常や仕事に
変化が起こっていた人もいて、
誰よりも批判的で愚痴に執着していたのは、
ただただ私だけだった・・・
と、気づかせてもらった時間でした。
そんな友人たちとは、
その後8年近く経つものの、
今も近況報告のお茶をできる仲にあり、
あの時、友人関係を切るのではなく、
新たなで自分でみんなと会える自分になれて
よかったな、と感じたのでした。
ただただ、
「場所が悪い!会う人を変えればいい!」
という気持ちからの行動だったら、
こうはなっていなかったと思います。
「離れる」は、私にとって、「切る」とは違う。
そしてそれは、そんな私を受け入れてくれる、
周りの方たちあってできているこの関係性なわけで、
ただただ、関わって下さる方たちへ
感謝しかありません。
人のことで気持ちがグルグルしてしまうとき、
一旦、自分に戻る。
そうすると、同じ景色も違って見えることがある。
本当に縁を切るかどうかは、
それから考えても遅くないかもしれません。
***
ちなみに先日、
「批判とか愚痴が出る人は
人のことがよく見えていて、
それだけ人が好きってことなんだよ」
という考え方を教えていただき、
批判や愚痴をなぜ言いたくなるのか?
自然と向き合えることが、
私の次のステップだなと、
また一つ、勉強になりました。
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