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Essay|覚えておきたい残したい

時間は不思議だなと思う。

まったくもって興味の湧かない集いだと3分ぐらいの間に「何回時計見るん?」と思うほど時間ばかり確認してしまうこともあれば、毎月恒例のイツメンとのカラオケは3時間が本気で秒なんである。

年々歳はちゃんと一つずつ増えているけど、中身はいっこも変わらず、苦手なものは相変わらず苦手なままだし、ありふれたことを言うようだけど「子供の頃は、大人ってもっと大人と思ってたよな」と言う感じだ。

Twitterを始めたのは10年前の3月11日で、この日になるとセレブレーション!とお祝いの通知が届く。テレビで放送される東北の様子とこの通知のアンバランスさに戸惑って、なんだかいつも居心地が悪い。

震災があったときわたしは東京にいた。それは41階建てのビルの33階で、ひどい揺れに体が驚いて過呼吸になって倒れてしまった。その日の東京は全ての交通機関が止まって、会社に泊まることになったけど、そのあとどうやって家に帰ったのかあまり覚えていない。

その日、何かにすがりたくて、確かな声が聞きたくてTwitterを始めた。嘘もいっぱいあるけど、本当もいっぱいある。みんなが情報を手渡ししてるみたいなそれに少しずつ状況を掴んでいったような感じ。あれから10年が経って、いろんなことを呟いてきたけどこの10年がどんな時間だったか、やっぱりよくわからない。

3月に入るとなんとなしにテレビは少しだけ騒がしく思えて、わたしには妙に手に余る。9年目を迎える少し前に劇場公開された『風の電話』。公開時、劇場で観たかったけどタイミングがつかめなくてずるずると時間だけが過ぎてしまった。岩手県大槌町の佐々木さんが、亡くなった方と話ができるように線の繋がらない電話を自宅敷地内に置いてみんなに開放している”風の電話”。

佐々木さんは始めた頃、震災で悲しみを抱えた方向けに門戸を開いていたのだけれど、今では震災だけではなく大切な人を亡くした全ての人に届けと続けられている。

映画の主人公は震災から8年が経って17歳になるハルの物語だ。話したいことがいっぱいある。大切に人がいなくなるのは体の一部がもげるみたいでなんだかとても落ち着かない。何かある度に心の中で話しかけてしまって、最後は会いたくなって会えなくて小さくなる。

行ってきますのハグ。泣きたい時は泣いて、怒りたい時は怒って、笑いたい時は笑う。どんな気分のときもご飯を食べる。生きていくというのは、きっとそういうことだ。

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