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生きていくこと|映画『さくら』小説『さくら』

生きていることはこんなにも美しくて貴い。


今年ももうあと残すところ2ヶ月をきった。オリンピックで沸き立つはずだった2020年は、世界中を駆け巡ったパンデミックが引き金となって、当然オリンピックをしている場合ではなくなってしまったし、それだけじゃない悲しい出来事がいくつもあって、まるで神様に試されているみたいな一年だった。(まだ終わってないけど)

当たり前だと思っていた習慣は全然当たり前じゃなかったし(今となっては通勤ラッシュはなぜあれほど頑張れていたのかわからない)、良いこともあればそうじゃないこともあって、自粛期間が長くなってこれまで目に触れなかった人間の裏側みたいなものがどろっと流れ込んできた2020年前半。

楽になったものもあったけど、生きていくことが少し難しくなって、誰かとの距離をいつもより少し遠く感じて、これまでの日常のリズムが少しずつ崩れていく感覚があった。

家族以外に気軽に会いにくくなった一方で、家族との距離がごろっとしてる。

そんな時代にこの映画が劇場公開されたことに、不思議な意味があるような気がする。いろんなものがガタガタと音を立てて崩れていくような暮らしの中で、決して生半可じゃない家族の話。生きることは全然綺麗事じゃないけど、美しくて涙が出るよ。


小説『さくら』
(著:西加奈子、2005年3月20日初版)


映画『さくら』
(監督:矢崎仁司、主演:北村匠海/2020年)


小説「さくら」との出会い

2005年、たまたま訪れた本屋さんで西加奈子さんの小説「さくら」を見つけた。白い装丁に銀色の線画のニュータウンの絵。ピンク文字で書かれた「さくら」という縦書きのタイトルは、女の子の名前なのか、花の名前なのか、すぐにはわからなかったけれど妙に清くて凜としていて私の目に止まった。

さくらというタイトルが、女の子の名前でも、花の名前でもなく、犬の名前だということは読み始めてすぐにわかる。(サクラはれっきとした女の子だけど!)

累計発行部数55万部を突破したそれは、当時まだ初版で西加奈子さんがいまほど有名ではなかったからどんな作家さんなのかも知らなくてあっという間に読み切った本作と、その勢いのまま読んだあとがきに驚いてしまった。私と全く同じことを考えている人がいる。しかもこんなにもぴたっと心を表現してくれる人が!

 尻尾を振ろうと思います。突然だな、でも、そう尻尾を振ろうと思う。

 恋人の肩に触れたとき、眠っている誰かを見たとき、月が綺麗に半分に割れているとき、雲間から光が差したとき、久しぶりに友達に会ったとき、いただきますを言うとき、新しい靴を買ったとき、自転車で立ち漕ぎをするとき、お母さんに手紙を書くとき、みんなが笑っているとき。

 私は全力で、尻尾を振ろうと思う。
(小説「さくら」あとがきより)

この15年の間に、このあとがきは暗記できるぐらい何度も何度も読んできた。足下をすくわれそうになったとき、信じていた人に裏切られたとき、周りの変化に妙に不安になったとき、いつだって「それが人生やで」と言われているみたいに私の背中を押してくれた。

生きることを難しく考えてしまうときも、あまりある幸せが私の中に飛び込んできたときも、どちらも変わらずにちぎれるほどに尻尾を振って生きていくのだ。

映画「さくら」の奇跡

2019年2月に本作が映画化されることが発表になって、原作ファンの私は歓喜した。主人公の僕・薫を北村匠海さん。美しくて狂気的でそして世界の本質を見抜いた女の子・妹の美貴を小松菜奈さん。いつだって薫と美貴と街中のヒーローだった長男・一に吉沢亮さん。なんてぴったりで運命みたいな3人なんだろう。キャストが発表された時、彼らの化学反応を想像してそわそわした。

発表から1年9ヶ月後無事劇場公開された映画をみてもその感動は変わらなくて、原作が発売された2005年はまだ10歳前後だった三人が、まるで小説から飛び出たみたいに一だったし、薫だったし、美貴だった。

矢崎監督が撮った「さくら」は原作を本当に大切にされていて、始まり方が秀逸だった。静けさの中の薫から始まるそれは、もう一気にこの「さくら」の世界に引き込んでくれた。本の中にいれられるみたいなそれ。北村匠海さんのモノローグで進む本作は耳心地が良くて、長谷川家のありふれているようで特別な家族の、愛も嫉妬も正義も劣等感もまぜこぜにした日常を、とても優しく観客に届けてくれる。

特に、美貴演じる小松菜奈さんは本当に凄かった。
小説の中で描かれるミキの美しさを遙かに超えて凜としていたし、乱暴で風変わりな女の子を圧倒的に存在させていた。屈託がなくて芯の強い。それでいて内にぎゅっと秘密を抱えていまにも爆発しそうな女の子。

綺麗な便せんとランドセル。そこに正しいものは全くないのに、腹が立つし、取り返しがつかないのに、美しくて美しくて苦しくなるそれを見事に演じていた。

奇跡だなって思った。

泣くも笑うも好きも嫌いも

映画を観た後すぐに、原作の「さくら」を読み直した。さすがに忘れていたところもあったし、15年の間に社会の価値観が変化してきたからこその違和感(成長や進化したからこそのズレ)と感動があって、そしてやっぱり変わらない世界を肯定してくれる強い強い愛があった。神様は悪送球なんて投げてきていない。

「おいおい、全部同じボールだよ」
(小説「さくら」より)

家族は、テレビの中みたいに綺麗な形をしたものばかりじゃなくて、それはそれはでこぼこしているし、よくある家族っぽく見えても家によってしきたりも違えばルールも違う。子供がいる家もあれば、いない家もいて。当たり前だって全然ちがう。とても生々しいものだ。人が生きていくっていうのは、そんな格好いいものばかりじゃない。だけどお父さんが小さい丸い女の子が生まれたときに世界に感謝したみたいに、もうまるっと全部美しくて尊いのだ。

原作を改めて再読したあと、ふと星野源さんの「Same Thing」を思い出した。

 It doesn't matter to me whether it's all rain of full of sunshine
 「雨が降っても日の光がさしていたって僕にはどっちでもいいのさ」

 You piss me off,I love you a lot  To me,they both mean the same
  「君にはむかつくけどすごく愛してもいる。どっちでも同じことさ」


私たちがこの世に生まれでた瞬間は何も持っていなかったし、もう何もかもはじめから全部持っていたのかもしれない。

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