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3.11 忘れない。


こんにちは、こんばんは。
みえりです。

今日は3月11日です。
東日本大震災から12年…。

このnoteは普段は「いいことだけ日記」として
自己肯定感を高めるために
良いことで埋めていこうと始めて
書いている日記なのですが

今日は特別編で
あの日を振り返り、忘れずに生きていくために
書き記そうと思います。


みなさんは、12年前のあの日
どこで何をして過ごしていましたか。


私は、当時は千葉市で暮らしていて
高校3年生で卒業式を間近に控えた日の
学校からの帰り道でした。

自転車通学だったので、
いつもの道を自転車に乗りながら
家に向かっていた時

近くにいた知らない人に

「地震だ…!」

と言われ
「え…?なになに?」と思いつつ
自転車を降りたら
地面が大きくグラグラ揺れていることに
気がつきました。
(そのまま自転車で走っていたら気が付かなかったかもしれません)

しばらくその場でじっとして、
揺れがおさまるのを待って
今まで経験したことのない大きさの揺れに動揺しながらも、とりあえず家に帰ろう!と思って再び自転車に乗り、帰宅しました。

家に着くと、仕事中の父を含め
たまたま家族全員がリビングに集まっていて
何がどうなっているか確認するためにテレビを見ていたと思います。

大変なことが起きたんだ…
テレビで流れる速報でようやく状況を理解し、
被害が最小限であることを祈っていました。

その後のことは衝撃だったり混乱だったりで、
はっきり覚えていることは少ないです。

後日、私の学年の卒業式が行われましたが
体育館に被害があったそうで
校庭での卒業式でした。

あとは計画停電があったり、
千葉だと海浜幕張など埋立地で液状化が起きたり。
自分の身の回りの被害は少なく、
すぐに日常を取り戻せた感覚でしたが
連日の地震に関する報道と原発のこともあり
被害に遭われた方や亡くなられた方のことを
思うと胸が苦しくなりました。

そしてしばらく経ってから、
私の祖母の妹で私にとっては遠い親戚ですが
夫婦で津波により亡くなられたことを知らされて、その年の夏に祖父母と宮城を訪れました。

親戚夫婦の家があったとされる場所は
ブロック塀だけがやや残っていて
瓦礫は既に撤去されたのか、
家らしきものは何もなく

どんな家が建っていて
二人がどんな暮らしをしていたのが
残念ながら想像ができませんでした。

東日本大震災では津波によって亡くなられた方が多く、大切なご家族やご友人を亡くされ深い悲しみを背負い過ごされた方もたくさんいらっしゃると思います。
今日はSNSなどでも当時の記憶を振り返る方の記事をたくさん目にしました。

12年間、時間は経ちましたが
それぞれの心に残った傷や、向き合ったこと、向き合いきれなかったこと、後悔や未来への決心…様々な思いを胸に今日を迎えた方がいることを改めて感じました。

私も、当時の記憶はこの先も忘れないと思います。忘れないつもりです。
でも、これから先また色々なことがあって、無数の記憶の中に埋もれてしまうかもしれない…
そう感じて、noteに書きました。

私が今日を迎えて感じたこと、思い出したこと
この先も大切に考えていきたいです。

そしてなにより、
災害から自分の命を自分で守って生きること。
これが自分と周りの人を大切にするために
一番重要なことだと思いました。

日頃から災害時に備えておくことと、
冷静な判断で自分の身を守ること。
その上で、助けが必要な方に手を貸して
お互いを助け合えたらベストだと思います。


3.11 忘れない。


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