映画「海獣の子供」から思考する

去年かな?観た映画をまた観たいと思って観てみた。以前映画館で観たときにほんまに心が持っていかれたうような、なにかにつかまれたような感覚があったから、またDVDが出たら観たいと思ってたもの。そこから色々考えてみた。


●主要登場人物
ウミ、ソラ、ルカ
→それぞれが何を表す?
ウミ→受け入れる者。
ソラ→捧ぐ者。
ルカ→気付かされる者。見届ける者。
クジラ→気付きを与える者。運ぶ役割?


●気になった言葉
宇宙、人間、生命、誕生、光、隕石、言葉

→この映画内でこれらがどう関係しているのか?どう言ってるか?
・宇宙と人間は限りなく近い。→→→同じと言っている。
・生命の誕生は、星が海に落ちることで始まる。→→→星(隕石)が精子、海が子宮。
・隕石はすごい光を放って海に落ちる。→→→見つけてほしいからと言っている。
・言葉がその早くてすごい光には追い付かない。表す言葉が存在しない。すごいとか大きいとかまぶしいって言葉くらいでしか。→→→限りある言葉では語りつくせないと言っている。

●気になったセリフ
「限りある言葉では語りつくせない」
「海のすべてが移動を始めた」
「いつしか利用することに変わってしまっていた」
「この星で1番えらいのは人間だと思っている連中から」
「急いで戻らないと。あれ?ウミくんはどっちなんだっけ?」
「ソラくんのいじわる…」
「海のある星は子宮。隕石は精子。人は乳房。天は遊び場。」
「見える。私が宇宙…?!」
「お母さんが私のなかにある。」
「見つけてほしいから光るんだよ」
「信じておやり、ウミとソラを、そして自分自身を」
「1番大切な約束は言葉では交わさない。」
↑まだある気がするけど…刺さったセリフたち。


●ここから自分なりに考察…
人間と宇宙の関係性…を考えてみた。
人間から見たら宇宙は大きいものであり、限りがわからないもの。大きさや量で見ると想像がつかないくらい。宇宙を人間の体と仮定したら人間は細胞みたいなもの。
宇宙から見て人間が細胞だとしたら、人間は宇宙のなかで起こっていること、存在していること・もので、それは人類の数ぶんだけあるもの。日々細胞分裂して消えては生まれるように、繰り返し続いている。増えては減って。
と、ここまで書いてみて、人間と限定すると辻褄が合わない。生命のほうがフィットするかなあ。生命の数ぶんだけと考えると、命あるもの、細胞があるもの、と考えると、人間や動物だけではなくて植物もそう。
繰り返し続くものなのであれば、人間が生み出した世の中の仕組みでさえも宇宙のなかに存在するもの。だけど、その仕組みや決まり事が、どの方向に向かっているものなのか、必要なものなのか、宇宙という名の体を蝕んでいくものではないのか、と考える必要があるんじゃないかなと思った。なぜか。地球単位で考えたら、コロナや環境問題、暴動、飢餓、差別、、、とか、まだまだ知らない範囲で、知らないことが起こってて、そこで細胞分裂を止めているのではないかと。そこからその出来事が、宇宙の体内でガンとか有害物質のように転移したり蝕んだり死滅させたり、ってゆうのを繰り返して、結局は滅ぶんじゃないかとか。
やから、この世界を続けたいと思うのであれば、私の選択が宇宙の体のこれからを作るということかな。今この瞬間の選択も、自分ひとりのためだけではなく、宇宙のためであるということ。。。

わかるような…わからんような…ん~そんな気持ち。どんな目線でとらえるか、いま、私はここからこんなふうに考えてみたけど、これを自分やその周りでってゆう単位・範囲でも考えておきかえられたらどう考えられるんかな。

私も夫も、友達も家族も、宇宙の一部、細胞。そこで日々細胞分裂やら結合もあるかなあ、あるとして・・・
私が生まれた意味・使命?はなんなんやろう?
私と夫が結婚したのは宇宙から見てどんな意味があるんやろう?
私がヨガというものと出会ったのはなんでなんやろう?
こうやって考えることや文章にしているのはなんでなんやろう?

ここを考えると、またひとつわかること、細胞分裂が起こるんじゃないかなあ。
細胞分裂が起こると、新しいなにかが生まれて、またなにかと結合したり分裂したりを繰り返して、先につながるんやろなあ。

まだまだ考える練習が必要やな。

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