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アイドル郷ひろみに見る、利他のココロ

仰々しいタイトルになってしまった。
特段、郷ひろみについて深い思い入れがあったわけでもファンだったわけでもない。
いまだに彼についてはごく一般的なことしか知らない。
けれど、数年前。
特段、心身ともに弱っていたとき、ふと彼の歌を聴いた。
ボロボロと涙が出て止まらなくなった。鼻水も止まらなかった。
ぐちゃぐちゃに泣いた。
嗚咽まで出てきた。
わんわんとむせび泣いた。
あの時のあの気もちを思い出しただけでも、涙がじわっと出てくる。
その涙は、人に無償でやさしくされたときのうれしさと感動の涙だと。
少し経ってから気づいた。

郷ひろみはスターだ。
デビューから今に至るまで、アイドルの中のアイドルだ。
某アイドルタレント事務所の社長が「彼こそが理想のアイドル」だとして、アイドルを育てていたとどこかで読んだ。
確かに郷ひろみはどこで見てもアイドルだ。
バラエティに出ても歌番組でも、おちゃらけていても真剣に語っても、歌っていても踊っていても、どこを切り取っても郷ひろみ。
その中でも印象に残ってるシーンがある。
随分と前のバラエティ番組で郷ひろみがタレントのYOUと一緒に出ていたときだ。
YOUは何度も何度もこう言っていた。
「もう、郷さんが素敵すぎてやさしすぎて、好きになっちゃう!っていうか好き!」
それはイチ視聴者のわたしにも伝わってきた。
郷ひろみは女性であるYOUにだけでなく、出演者全員にやさしく、礼儀正しく丁寧で、相手への労りや敬意に満ち溢れていた。
そりゃあこんな紳士が横にいてやさしくエスコートされたら、好みかどうかを越えて全力で惚れてしまうだろうな……と、普通に納得できた。

話を戻す。
ココロもカラダもボロボロだった数年前のその時、You Tubeで『First Take』というチャンネルを見ていた。

様々なミュージシャンが、タイトル通り一発取りしたものを流しているチャンネルだ。
絶妙な緊張感が見てる側にも緊張感を与えてリアルで、画面の向こうの才能あふれた人たちが歌うのを身近に感じられる、お気に入りのチャンネルだった。
それまで比較的若い世代の歌手が多かったが、コロナの影響なのか製作者の方針か、ベテランミュージシャンも参入し始めたときだった。
そこで、郷ひろみが『2億4千万の瞳』を歌っていたのだ。

それは、今までそのチャンネルで聴いてきたものとは、全く違うものだった。
真っ白な小さなスタジオで、一人で歌っているのは他のミュージシャンと同じ。
でも郷ひろみはそこで、何万人ものファンに向けて歌っていた。
いや、2億4千万の瞳を全部を見つめて歌っていた。
スタジアム級のライブ会場に見えた。郷ひろみの視線の向こうに、大勢のファンが見えた。
そこに、自分もいた。
それは、わたしに向けて歌っている歌だった。
弱って元気のないわたしに、一人で膝を抱えてる人に、落ち込んでる人に、元気はあるけどちょっと問題を抱えてる誰かに。
いろんな誰かを励ましたり、明るくさせたり、楽しい気持ちにするために、歌っていた。
それで、号泣した。
誰かに、おもいっきりやさしくされたときのように、「弱くっていいんだよ」と言われたように、うれしくて全身の力が抜けて泣きじゃくった。
泣き崩れたかったんだなぁ、と思った。
それで、弱ってる自分を受け入れられた。
つらくて弱くて、一人でYou Tube見て号泣しているわたしを、郷ひろみに肯定されたみたいだった。
感謝しか浮かばないのである。

アイドルって、こういうことか。
スーパースターってこういうことなのか、と思った。

これまで、好きなアーティストのライブに行って感動したり癒やされたり元気になったりしたことはたくさんある。
けど、郷ひろみに関してはファンだったわけではない。
それなのに、この感動はなんなのだ、と。
うっかり『2億4千万の瞳』を聴いてしまったばかりに、弱い自分を受け入れ、乗り越えてしまう体験をしてしまったじゃないか、と。

アイドルもスーパースターも、本来的には「自分」というものを捨てて、無私の心で「人のため」に尽くすものなのだと気づいたのだ。
目的は自己実現や自己表現ではない。
いかに人を楽しませるか、明るい気持ちにさせるか、パフォーマンスの間間だけでも現実を忘れて楽になってもらえたら。
そんな気もちが、郷ひろみからはあふれていた。
上品で思いやりに満ちたサービス精神が、そのパフォーマンスに満ち満ちていた。
お約束のジャケットを脱ぐ仕草に「慈悲」を感じてしまうほどに。

少し大きな話になるが、世界的アイドルやスーパースターといえばイエス・キリストやブッダもそうだったと思う。
彼らもまた無私で利他に励んだ。
かけねなく人にやさしくする態度、人のための行動に対して、みんな感動して心を寄せたのではないか。
そこまでいかずとも、近代のヒーローなどの物語も「誰かのために一生懸命闘う姿」に感動するのではないか。

人は、自分ではない他人のために働く者に、感動する生きものなのだ。

時代劇なんかで、誰かに助けられたり慈悲をかけられたりした者が
「菩薩様じゃ~」「観音さまじゃあ」
と言う気もちが、郷ひろみに感動したわたしにはわかってしまった。
あまりの利他と慈悲っぷりに、その先にイエス・キリストやブッダを見てしまったのだから。

そしてもう一人、似たことを思ったことがあった……と思い出したのが、マイケル・ジャクソンだ。
彼もまた、ファンへのサービス精神が他とはかけ離れていた。そして誰もが認める、近代最大のスーパースターだった。

ここでもう一つ気づく。
郷ひろみの歌う楽曲が、特にヒット曲が、ちょっとプッとなるような面白みのあるものであるのは。
「楽しませる・明るくさせる・元気にさせる」からなのではないか。
きっと、そうに違いない。

そういうわけで、この仰々しいタイトルになった。
悔いはない。
あの時のわたしは郷ひろみに救われ、誰かのために歌う彼の存在に、今もなお勇気をもらえているからだ。

読んでいただきありがとうございます。
祝福アレ♪

P.S.
画面右下にある「♡」を押してもらえると、Eri Kooはめっちゃくちゃに喜びます。その場でアナタへひと踊りします。
明日への活力です😊

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