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#15Being Alone 孤独感が消えたとき

ふと最近気づいたことがある。
以前は常にあった孤独感。

誰といても
どこにいても
笑っていても
楽しいときも

常に根底にうっすらと漂い続けていた孤独感がなくなっていたということに。

「なくなった」というのとは違うかもしれないが、あの慣れ親しんだ空虚感、胸の中、おなかのあたりにいつもあった、ぽっかりと空いた穴のような感覚が、そういえば感じられないなぁ。。という感覚である。

これは、とある人が、その方の生まれてきてから、ずっと孤独感を感じ続けてきていて、誰にも言えなかったが、そのグループ内で初めてそれは自分ひとりではなかったと話してくださったことで気がついた。

そうそう、私も・・・という思考が、反射的に浮かび上がった時、あれ?あの孤独感、そういえば今ないんじゃない?と気がついた。

家族といても、友達といても、いろんなシェアをして、いろんな話しをしていても、どこか「それでも本当に理解しあえる人はこの世にはいない」という感覚や、言葉にはならない冷たく硬い石のようなものが胸の中にある感じ、自分の周りを透明な膜が覆っていて、周りの声や温度、繋がりをシャットアウトしているような感覚があったのが、いつの間にかもうそこにはない!ということに不思議な感覚を覚えている。

自分が自分としっかり繋がることができていれば、自分が自分を愛することが出来たなら、もう孤独感を感じることはない。

といったような事をよく聞くし、頭でも理解していた。
そして自分の体験からも、自分の心と体と思考の一致感が出てくると、とても居心地がよく、安心感が増していくのも知っていた。

それでも完全にぬぐい去られることのなかった孤独感。
これが今、感じられないのは自分が完全に自分とつながったということなのだろうか?自分を完全に愛することが出来たからなのだろうか?

それはなんだか違うような気がする。もちろん、自分の中の一致感はかつての自分よりはあるが、完全にということはない。思考が先走るのを感じることもあるし、まだまだ頭でっかちに考えているなと自覚する事もたくさんある。

そして自分を愛するという部分も、自分のことは大好きになっているし、肉体も心も、能力も自分のものが好きである。それでも、時に他者とくらべて、ダメ出しをしたり、自分を責める言葉も無意識に頭をよぎることも多々ある。周りの人が自分を批判的に見ているんじゃないかと思うとき、あーまた自分の自己批判を投影しているなと気づいたりもして、完全に自分を愛している状態とも違うのではないかと感じている。

とすれば、なぜこの孤独感を今感じないのか?

ひとつには、マウイの自然のチカラが大きい。
自然の中、水や植物がたくさんあるところの中にいると、とても満たされ護られている感覚になる。植物、昆虫、動物など、沢山の生命体が発する音に囲まれると、自分もその一部だということが素直に信じられる。夜になればコキ(蛙)たちが大合唱し、空には満点の星が瞬いている。

そして、もうひとつにはヒトのチカラだ。

ふらりと訪れる私を暖かく迎え、滞在させてくれる友人がいて、その人達は普段連絡を取らずとも、一緒にいるときは心をあっという間に通わせることが出来る。「イマココ」を共有し、息をするように「ありがとう」と言いあい、「本当に幸せだね」とシンプルな喜びを心から表現し合うことができる。

一瞬一瞬が奇跡のようで、満ち満ちとして、イマココにある全てに、自分自身も含め愛情が泉のように湧き上がってくる。

この愛と孤独はココロの中に共存することが難しいのかもしれない。

いつの間にか孤独感が消えていったという事は、これらの事によって自然と溢れ出る「愛と感謝」によって、「孤独」は押し流され、認知できる領域にはなくなったということなのかもしれないと、今は思っている。

2022.07.26
マウイ島

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