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わたしの描く理由1

noteを始めようと思いアカウントを作ったのは結構前なのだが、なかなか書く気になれず1年も経ってしまった。
今回も突発的なので続くか分からないけれど、ひとつのタイミングと思い書いておく。

ぼけーと流れるように生きてきた私が絵を描いて生きていく理由について。

物心ついたころから紙に鉛筆やペンでドローイングしていた。
描いても描いても飽き足らず、落書き程度のものを呼吸するように当たり前のように描いていたので、大人になってから、「ずっと描いていたよね」と言われるまで自分がそんなに絵を描いていたなんて気がつかなかった。

原点はセーラームーンやリトルマーメイドにあると思う。戦う女性、力強くしなやかな女性。
女性の身体の曲線美が好きだ。
自身が人であること、女性という性に憧れがあり、それを持って生まれたことに喜びがある。

見えないものを可視化したい。
よく、何を考えているか分からないと言われる。
自分の意思を言葉にすることに元々苦手意識がある。
人が思うほど特に考えていないし、伝えるほどのものなのかと思ってしまう。これまで言葉不器用で何度も苦労した経験がある。
テレパシーで会話してるのではないのだから、言ってくれないと分からない、と。確かにその通りでしかない。
ただそれよりも絵を描いて自分の世界に入っていくのが楽しい。
言葉で伝えられないから絵をかいている側面は多分にある。
また言葉は明確なようで曖昧だ。
言葉によって伝わることは多いが言葉だけでは伝わらないニュアンスや言葉の纏った空気がある。同じ形容詞であっても人の経験値などによって感覚は全く同じでは無い。
そして言葉は時にあまりにダイレクトに伝わるので心を乱したり、同じ言葉をずっと反芻したりしてしまう。
言葉にないゆとりのようなものを絵は伝えることができ、感じることができる。
人の纏っている空気感や表面的には見えない心情、器である肉体の中にある魂の本質に意識を向け描きたい。

私は自己肯定感が低い。出来て当たり前とあまり褒められずに育ったからか、周りの目を気にしすぎたからか自分に自信がないようだ。
「もっと自信を持ちなさい」と学生時代や社会人になってからも大人達に言われ、自分がそれほど自信なさげに映るのかと驚く。
けれども自信は経験の積み重ねにより少しずつついていくものだと思う。
私だって自信があるなら堂々としたい。
絵を描くこと、書道、ダンスで自己のバランスを保ってきた。方法はどれであっても表現したいことは変わらないと思う。けれども色彩を自由に使え、自身により寄り添っているのが絵だということに気付いていく。
その事実を自分に落とし込むためにゆっくり時間をかけ寄り道したかったのだと、今になると分かる。ここまで来るのにかなり時間がかかったのだ。

長くなるのでひとまずこれくらいにする。
画像は幼児期セーラームーンを描きまくっていた時の一枚。4歳頃、大分人間の顔や体の形を認識して描いているマーキュリー


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