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帚木蓬生 ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)とは端的にどうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力と定義される。帚木蓬生氏による本書は、19世紀の詩人ジョン・キーツが弟への手紙のなかにただ一度記したというネガティブ・ケイパビリティについて、さまざまな場面での実例を示し、解きほぐしながら紹介している。


・対象に同一化して、作者がそこに介在していない境地を指す「無感覚の感覚」
(キーツがシェイクスピアに見出だしたネガティブ・ケイパビリティ。詩人や作家が外界に対して有すべき能力)

・不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度
(精神科医ビオンがキーツを引いて主張した、患者との間で起こる現象や言葉に対して要請される能力)

・拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐え抜く力
(脳はなんでも分かろうとする性質を持っているが、それに抗うことで到達できる発展的な深い理解がある)

以上ははじめの三章で言及されるネガティブ・ケイパビリティの説明であるが、精神科医でもある著者が臨床の現場で経験したエピソードを踏まえながら語られる第四章以降も非常に興味深い。

意外なことに、医療の現場では「答え」が出ないことのほうが多いと著者はいう。たしかに病院へ行けばなんでも治してもらえるという思い込みをわたしもしているような気がするが、少し考えてみれば、医療は決してそんなにまで万能なものではない。原因が分からないこともあれば、治療法が見つからないこともあるのが人間の身体だ。
だからこそ医療者はネガティブ・ケイパビリティを大いに発動させて、患者に向き合う必要があるというのだ。

これは普段の生活にも取り入れるべき能力・態度であろう。目の前の人から相談を受けたとき、問題解決にまっしぐらになってしまう自分がいる。相手は悩んでいる。だからその悩みの原因を突き詰め、解決に向かう道筋を探そうとしてしまう。
けれど、よく言われるように「聞いてほしい」「共感されたい」という欲求を満たすことが最優先だということもある。的外れな解決法を捻り出すより、答えが出るかはさておき、じっくりとともに考えることのできる人になりたい。

後半は芸術の分野にまで話がおよぶ。たとえばシェイクスピア、紫式部(源氏物語)が引き合いに出される。
マルグリット・ユルスナールが書いた源氏物語の「その後」についても紹介されているが、わたしはこれをいつか雑誌で読んだことがある。日本の平安時代の作品が、時を経て続きを書いた作家がいるというそのことがネガティブ・ケイパビリティの発露ともいえるだろうか。

その他、教育、寛容、戦争まで。
「ポジティブの反対はネガティブ」という二項対立的な発想が優位に立ってきたら、何度でもこの本を読み返そうと思っている。
最近ネガティブ・ケイパビリティに関するビジネス書が立て続けに刊行されている様子だが、わたしは2017年に書かれた本書を読み込むことで十分かなという気がしている。


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