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日本の短編小説を読む② 芥川龍之介作 奉教人の死

先週水曜、HOWSの短編小説講座に参加した。第二回のテクストは芥川龍之介作「奉教人の死」。

女だからって何なのだ

私はろおれんぞが女であったということに少なからぬ理由を見出し、しめおんへの思慕こそが奉教人としての人生を歩んでいく上のきっかけと読み違えてしまったが、冷静になってみればろおれんぞの信仰の厚さ、尊さはそんなものではなかったのだ。

故郷は「はらいそ」父の名は「でうす」と、ろおれんぞの生き方は宣言されているのであって、私はそう書いてあるままに読まなければいけなかった。
「御主、助けたまえ」と叫んで火に飛び込んでいくときのろおれんぞの積極性を指摘した人がいた。私もこういうことにこそ反応できるように鍛えなければ。

その女の一生は、このほかに何一つ、知られなんだげに聞き及んだ。なれどそれが、何事でござろうぞ。なべて人の世の尊さは、何ものにも換え難い、刹那の感動に極まるものじゃ。暗夜の海にも譬えようず煩悩心の空に一波をあげて、未出ぬ月の光を、水沫の中に捕えてこそ、生きて甲斐ある命とも申そうず。
ーちくま日本文学002 芥川龍之介 pp.208-209

芥川龍之介と聖書

龍之介は、教会に出向き祈るタイプの信者ではなかったが、キリスト教に浅からぬ関心をもち、バイブルに相対した人だった。イエスおよびイエスを取り巻く人々(裏切り者のユダ、イエスの処刑を命じたピラト、使徒ヨハネを含む)に興味があった。
20代半ばで「奉教人の死」を書いた。のちに服毒自殺を遂げた際、枕元には一冊の聖書がおかれていた。

龍之介の創作において、ストーリーは黄金伝説(レジェンダ・アウレア)や今昔物語など既存のものから引用。よく知られた話を素材に創作を加え、自分自身の文学として打ち立てた。あらためて尊敬すべき文学者だ。

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今回の講座では、自分の文学的才覚の欠如に落ち込むものがあった。もっと鋭いセンスが身につくようにがんばりたい。

次回は埴谷雄高「虚空」。

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