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火事台風地震水災で稼ぐ仕事

 前職は損害保険会社に勤めていた。
保険会社は3つの部門に大きく分けられて構成されている。
「ほけんの窓口」や自動車工場なんかの保険代理店に対し自社の保険商品をより多く売ってもらうためにアプローチする営業部門、
商品の説明や事故が起こったときの窓口となる「カスタマーセンター」や他の企業と同じような経理人事がいる本社部門、
事故が起こったあと、保険の支払い事由に該当するかしないかを判断し、保険金を査定する支払部門。

 支払部門はさらに3つに分けられている。
自動車事故を扱う自動車部門、医療保険を扱う医療保険部門、その他の火災保険や賠償など多岐にわたる火災新種部門。
私はこの支払の火災新種部門に所属していた。


保険金をどう計算しているか、どんな仕事していたか


保険は約款がすべてで、保険金を支払う事故の内容と、お金を払う損害の範囲が規定されている。
まず代理店またはカスタマーセンターから報告があった事故の内容が保険金支払いの対象か、対象でないかを判断し相手に伝えてモメたうえに怒鳴られる。
次に対象であれば写真や見積書を送ってもらう。
例を挙げると、一軒家を持っている人が自分の家に火災保険をかけており、台風で飛んできたものでリビングの窓ガラスが割れた場合、割れた写真と修理の見積書を依頼している。
取付後、確かにガラスが割れていること(モノが飛んで割れた割れ方なのか、別の原因が考えられて支払い事由と矛盾しないか判断する)修理の範囲が適正であること(ガラスの張替えならOK、もし割れたガラスと関係がないトイレの修理や違う部屋の電球の替えがあればその金額は支払わない)を確認し、認定した金額を伝えモメたうえに怒鳴られる。

 自分のものが壊れた場合で揉める原因はそのそも壊れたものが対象じゃない、壊れた原因が保険の対象じゃない、見積書が明らかに損害範囲を超えていて金額が小さいが主だ。

誰かのものを壊して更にお互いに責任が生じる場合の賠償保険や誰かをケガさせた場合の揉め方はさながら火事のようだった。火災保険扱っているのに炎上はする。
もめ事を解決してお金を稼いでいるので、支払部門の休職やメンタルがやられた話はよく聞くし、まれのまれに担当者の自殺も聞く。
どの仕事をしてたって辛いだろうが、何十年先の定年退職までこの日々が続くと想像するとため息しかでず、まるで慣れる気がしなかった。

充実感とは

 新人の頃は毎日仕事を好きになりたいとばかり思っていたし、好きになれなければせめて慣れたいと思い詰めていた。
慣れるためにやったことのない仕事を率先して引き受け、周りに聞いてはウザがられつつも良い先輩たちなので教えてもらっていた。
忙しいさなかに細々と聞かれる先輩や近しい上司はうざかっただろうが、ウルトラ怖い決裁者の上司はその姿勢を褒めてくれて残業中の私にこう投げかけた。

「楽しいでしょ、この仕事。まだやったことのない事故や、解決が難しい複雑な案件ほどワクワクするよね。」

は???????????1mmたりとも理解できないんだが?????????????

ちゃっちゃか解決できて頭使わない仕事の方が助かるし、何も知らないぺーぺーのうえに呑み込みと頭の回転が遅い私にはすべての仕事が難しいから経験値でカバーしようと積極的に仕事を引き受けているだけで、そんな充実感は持ち合わせてないんだが????

 全く理解できなかったが、あのヒリついた事故対応のどこに楽しさを見出せたのか、役職者になってもめ事を直接解決しなくていい立場になってまで
なぜ更に複雑さを求める向上心があるのか、その仕事への充実感はどこからくるのか不思議だったしかなり羨ましかった。
仕事が好きであれば辛い労働も張り合いがあるだろう、けどその好きをどう見出せばいいのか途方に暮れていた。


※このかつての上司の事は当時からかなり好きだし今でも尊敬しているしあの言葉は今でも理解できない

必要とされた瞬間


 社会人の中堅の入り口くらいの浅い経験談の中で、仕事に対して前向きになれた瞬間はすべて些細なことだった。
金額や規模の大きさや、相談した上司も一瞬黙り込む複雑な案件が解決した安堵感はあまり重要ではなかった。
きっと仕事の充実は俺TUEEEEEE感があるときに見出せるものだと思っていたのだが、もっと月並みな「あなたがいてくれて(商品があって)ありがたかった」のひとことだった。

 見積書が業者から一向に送られてこず、こちらも案件を解決できないし出張中のお客さんも保険金がおりず困っていて、私から直接業者に連絡し続けて解決でき「担当者があなたでよかった。本当のカスタマーサービスだった」とメールが届いた時、
まるまる一軒火事になり、直接話を聞きに行ったお客さんが途方に暮れた表情をしており、更にお客さん自身は気付いていないが保険金の計算上都合の悪いことがあり上司にもちろん指摘されるので、その指摘を先回りして回答してできるだけ早く保険金を支払い(お客さんにとっては待たせたと思う)
退職の後にお客さんではない別の人から「保険があって助かった」と言っていたと聞いた時、無性に嬉しかったと同時に決してスマートな働きぶりではなかったのでもっと早く安心させれたのではなかったのかと反省の気持ちもこみ上がってきた。


 嬉しいのはひとときだけで、瞬く間に雪崩のように仕事は舞い込んでくるし泥臭い作業の繰り返しで日常が進んでいく。
いつしかその嬉しかったひとときも忘れてしまうが、胸の奥深くに根差していてたまに元気づけてくれる。
これが充実感なのかと気付いたと同時に、数年単位で1回2回の低い頻度でしか発生しえない奇跡的な出会いなんだとも気付いた。
ワガママの欲しがりなので奇跡をありがたがるよりももっと頻出してくれと思うあたりひねくれているのだが、きっと仕事が好きな理解しがたい人達はこのきらめきをいくつもいくつも知っているのだと思う。
そしてきらめいた充実の実の数よりも、実を支える苦労と挫折と失敗の枝葉が無限に広がっていて、その先に忍耐が根ざしているのだと想像する。

 私が羨ましがって欲しがっている、仕事の充実感、仕事を好きと言い切ることは途方もないことで、死ぬまでに辿り着くのは難しい。
転職した先で、入社一年目でこまごまとしたデータを加工して愚痴っていた私に現在の上司がこう投げかけた。

「楽しみは自分で見つけないとね。仕事への興味も同じことだけどね。」

どんな組織にいても、なんの仕事をしていても辿り着いたひとは同じものを噛みしめてきて、同じきらめきをみたのかもしれない。

 私の仕事は前職は損害保険金の支払いで、かなりぼんやりと表現すると今もお金の計算をしている。
職種の内容はその言葉に尽きるが、私個人は仕事の中できらめきを探している。
浅い社会人生活の中で得た充実の実は想像ではなく現実にあることを知れたので、今後を過ごすかけがえのない勇気になっている。
きっと苦労と挫折と失敗の枝葉も乗り越えて根を張れるはずだ。


#私の仕事

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