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#22 哀する

少しの期間アンインストールしていたInstagramを開いたら、数年前の同じ日付に投稿していたストーリーが蘇ってきた。
慣れない仕事と先の見えない生活にその頃の私はすっかり心を蝕まれていて、モノクロの山手線の景色のなかに思いを隠すように
「こんな惨めな思いと生活があと何年も続くんだ」と綴っていた。

帰路につく電車から暗い自宅に戻るまで、
マスクの中で嗚咽を殺した日々のこと。

”泣いて泣いて、もう涙も出ないのよ”
子どもの頃に読んだ漫画で女の人がそう言っていたから、大人になれば涙はいつか涸れるのだと寂しくも期待していたのだけど。
悲しみや感動だけでなく日々の不安や焦りや緊張から、私は今でもよく泣いてしまう。

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たとえば数え年で40歳になる人を”不惑”なんて言うけれど、あれは道徳的な何かではなくて、単純にドーパミンがあまり分泌されなくなって扱いづらい感情が落ち着いてくるということなのだと脳科学者が指摘していた。
それに10代と40代では脳の構造がぜんぜん違っていて、10代の頃には不安がどんどん増幅するような回路が組まれている。
その回路によって増幅されていた不安感情は、年齢を重ねるごとにやがて緩やかに凪いでいくのだという。
年を重ねるごとに”自分の人生はこんなものなんだ”ってある種の諦観に至るということなんだろうか。

そういう大人を何人か知っている。

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Youtubeが今年再生した音楽のハイライトを知らせてきた。
”あなたが2023年によく聴いた音楽のムード
「ラブ」と「悲しい」をイメージした画像です”

なるほど確かに、悲しみと愛にまつわる花言葉をもつ花のタトゥーを新たに身体に刻んだばかりだった。
色んな文脈での「ラブ」や「悲しい」が、ともすると2023年どころか自分の人生を貫くテーマになるかもしれない。
右腿に浮かび上がる今はまだ鮮やかなインクの黒に、それも悪くないなと思う。

「こんな惨めな思いと生活があと何年も続くんだ」
愚直で視野が狭くて、世界のあらゆることに真正面から傷付いていた数年前の私を初めていじらしく思った。

「うつくしい思い出になる10年を不安に歩く私でしたね」

あなたのための短歌集 / 木下龍也

言葉が好きで、言葉がきらいだ。

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