#17 燻る
多くはなくとも報酬をいただいて踊る立場になってから残った数少ない趣味のひとつ。
自宅からの徒歩圏内に佇む雑居ビルに
シーシャバーがあると知って、スマホと財布と本を持って赴いた。
「奥のソファにどうぞ」
電話で予約を受けてくれたスタッフの女性は、入店するなりこちらが名前を告げる前に席に通してくれた。
なんだかとても甘ったるいのが吸いたくて、
バニラとハニーのMixをオーダーする。
ほの暗い照明の下、ハイボールを傾けながら
読みかけの掘静香さんのエッセイに目を落とした。
ときおり自分が吐き出す煙で文字が燻るのが少しもどかしい。
私を含め3-4組のシーシャの面倒を見てくれていたスタッフさんは
耳の下あたりで切り揃えられた潔い黒髪のボブカットに、涼しげなアイメイクがよく似合っていた。
綺麗なひとだな、とぼんやり思う。
私に対するクールな態度とは裏腹に、常連さんらしきお客さんに向けられる人懐っこい笑顔を、
気がつけば何度か盗み見ていた。
馴れ馴れしくせず適度に放っておいてくれる接客を快く思う一方で、”今日が初来店の私は、あとどれくらい通ったらあの笑顔を向けてもらえるんだろう”なんて考えて、途端に自分がひどく穢らわしいもののように思えてくるのだった。
20代半ばになってようやく、どうやら自分は
恋愛対象とする性別が曖昧なのかもしれないと気づき始めている。
…否、これは私とあなたとの秘密にどうか留めておいてほしいのですが、
そもそも心から誰かを愛する日が来るのだろうか?という問いから
私はもうずっと長い間、逃げ回っています。
ーーー
帰り道、都内ではあまり見かけない系列のコンビニに立ち寄って見慣れたハイボール缶を買う。
帰り道の15分で飲み干せる350ml缶。
「料理は美味いけど、店員の態度が横柄で僕は苦手でした」と不動産屋の青年が冷めた目で勧めてくれた海鮮居酒屋を横切る。
駅前で大声で話す会社員のグループやキャバクラのキャッチの間を縫うように歩きながら、
菅田将暉がカバーしている「milk tea」を
なぜだか久しぶりに聴きたくなってYoutubeを開いた。
ーーー
寂しい玄関の電気を点けると、
壁に貼っているメッセージカードが目についた。
「日々すごく努力されている方に言うことではないのでしょうが…
それでもやはり、Era様は天才です」
丁寧で謙虚な筆致を読み返して、
海のように泣いた。
差出人の方に申し訳ないほどに私は天才には程遠くて、ダンスはおろかこころまでも未熟で仕方がなくて、日々恥じ入るばかりだ。
ーだけれど このもどかしさをどうか忘れないよう書いて書いて書き残して、
それでも掬い上げられずに沈殿する言葉にならなさを、なりたかった自分を、あなたを
たとえ不恰好でも踊りたいと、身勝手にそう願っている。
こんな風にひとりでに打ちのめされては
ぎりぎりの所でどうにか奮い立つ夜を、きっとこれからも繰り返すんだろう。
セルフネイル中に手元が狂って出血した中指のささくれが疼く。
すっかり汗をかいたハイボールの空き缶を、親指で押し潰した。
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