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願いと祈り

願いと祈りの違いを考えたことがありますか。

私はいつも『祈りとは一体何なのか』と考えていました。

というのも、祈っているつもりでも、そのうち願いに変わってきて、いわゆる現世利益を求めてしまっていることがあるからです。

神社仏閣にいくとわかりやすいですが、祈りというよりかは、健康、金運、商売繁盛など、身近な現世利益を求めた願いが強く感じられます。

祈るということがわからなくて、いろんな本を読んだりしてみましたが、ピンとくるような明確な回答はありません。

最近は、パワースポットに行く人が現世利益ばかりでよくない場所になっているところもあるとききます。

しかし、願いが現世利益ばかりでいやだなあと思っても、願いの先に祈りがあることを考えれば、それも必要なのかなと思ったりもします。

例えば、健康祈願をするとしても、自分が健康であることで、家族を支えられるとか、子供たちを育てられるとかあるかもしれませんし、願いのベースにはその背景になる状況も存在しているわけですので、現世利益が一概にすべてダメとは考えなくてもいいかもしれません。

ただ、願いと祈りは、見返りを明確に望んでいるものと、結果を委ねたものという違いもあると思います。

特に、委ねるというのはとても勇気がいると思います。

なぜなら、必ずよき方向に進むと絶対的な信頼を置くことだからです。

ですが、その道の進み方は、自分の想像をはるかに超えた形で現れることもあるので、人間の小さな思考では、想像もつきません。

だから不安になって、信じることが難しいときもあります。

例えば、少し離れた場所にあるスーパーに行きたいと願うとしましょう。

普通に考えたら、誰かが車に乗せて連れて行ってくれたとか、タクシーやバスが、家を出た瞬間ちょうどやってくる、など自力ではなく、スーパーに行くという願いをかなえてくれる方法を想像するでしょう。

それ以外に方法がなければ、車、タクシー、バスがこなければ願いはかなわなかった、という結果になります。

だから、自分の頭だけで考えてしまうと、結果を委ねることができずいることになります。

しかし、祈る場合はどのように連れて行ってくれるかを完全に任せることになりますので、

もしかしたら、朝起きたら、家の目の前にスーパーの方が来てくれているかもしれませんし、風が吹いてスーパーの目の前まで身体を飛ばしてくれるかもしれません。
たまたま玄関を出た瞬間にスケボーがザーッと流れてきて、偶然足が乗ってそのままスーパーについてしまうとか(笑)

そもそもスーパーに行かなくても、誰かが欲しいものを買ってきてくれる可能性だってあります。

私の小さな頭ではこれぐらいしか想像できませんが、もっともっと想像を超えるようなやり方もあるでしょう。

祈るというのは、疑ったり、そんなわけないよと信じないのではなく、どのようなルートを辿るかは考えずに、自分にとって必ずよき方向に進めてくれるに違いないと、絶対的に信じて結果を待つことです。

絶対的な信頼があってそれを待つということは、すでに結果がわかってるということにもなりますので、祈りに対して出てくる思いは感謝です。

今まで、願いがかなえられなかった、祈っても届かなかった経験がある、または、どこか自分の中で祈りを信じていない、というのであれば、例え感謝の言葉を口にしても、心の中には不安や恐れ、心配も出てくるでしょう。

それは願いをかなえてくれる人が、どこか遠くの偉い方だと思っているからではありませんか。

願うとき、祈るとき、人は必ずその方向に向かって思いを込めます。

たいていの場合が、何かの像だったり、祈る対象や、場所、上を見るなど、自分の外に向かって祈っています。

そうではなくて、その祈りを自分の中に向けてみたらいかがですか。

祈りを聞き届けてくれるであろう方がどこにいるかわからない、それどころか叶えてくれるかどうかもわからないのであれば、確実に願いをかなえてくれる人に向かって祈ればいいのです。

今いる自分を遠くから見つめていたら、もう一人のあなたは願いや祈りを何としてもかなえてあげたいと思いませんか。

時には、想像もつかないやり方をするかもしれないけれど、自分が喜んだり、自分が進む道を示して導いてあげたくなるでしょう。

そう考えると、私の中のもう一人の自分は、いつも願いを叶えようとしてくれていて、導いてくれている、支え、助けてくれているのだと確信に変わります。

確信に変われば、願いと祈りは感謝と常にセットであるということがわかります。

いやいや、自分の力が一番信じられないよ、そう考える人もいるかもしれません。

それはもう一人の自分は自分だと思っているからです。
自分を見ているもう一人の自分は、私であって私ではない大いなる何かです。

遠くから見るというと離れているように聞こえますが、私達はその存在といつも一体ですし、それ自身です。

ですので、これからは自分の事を大切な存在だと思い、自分に向かって祈り、感謝してみるのはいかがでしょうか。

みなさんは、すでに信仰などで自分が信じる者の前や場所で行っているかもしれませんので、これからはそれを自分に向けるだけです。

いかがでしたか。

自分を信じることができなければ、人を信じることもできません。
まずは自分の心を信じてあげましょう。

そして、何者にもなろうとせず、あなたでいればいいのではないでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!



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