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楽しみ
日々物価高は顕著となり、給料は何十年も上がらない現在。
私はこの環境を、
『実は密かに楽しんでいます』
幸いなことに、生まれた時にはすでに物にあふれた時代になっており、大量生産、大量消費の中、物に事欠くことはありませんでした。
それが当たり前になっていたり、環境に慣れてしまうと、この先の不安や心配なども出てくるでしょう。
高齢化社会に向けて、老後は?年金は?政治不安を口にすることも多くなったかもしれません。
ただ、よくよく考えてみれば、歴史を振り返ると、物がないだけではなく、食べ物もなく、日々生きるのが精いっぱいな時代を人は経験しています。
戦争もあり、大災害も起きているような時代もあったはずなのに、命のリレーは繋がり、人類は滅亡していません。
そして、もっともっとお金のない時代もあったはずです。
その時代でも、きっと人は笑っていただろうし、子供を育てたり、精一杯生きることを考えていたと思います。
ですから、もしも万が一にでも、物がない時代になっても、人は生きていけると思うのです。
今はキャンプを楽しんだり、田舎での自給自足の生活を充実させている人もたくさんいます。
物が少なくなったり、便利に頼らなくなったりすると、生活水準を落とすとか、貧困になると思うかもしれませんが、そうではないと思います。
ただただ、そういう自然に沿った生活になるだけなんじゃないでしょうか。
貧困というのは、気持ちが貧しくなることだと思います。
私は離島育ちで、島にはお店もなく、半分自給自足生活でした。
祖父母の作る野菜を食べ、遊ぶのは目の前の海ぐらいです。
不便なこともあったのかもしれませんが、子供のころからそれが普通の環境でしたし、貧しさを感じることもありませんでした。
その頃から考えると、今は歩いてすぐのところにコンビニはあるし、遊ぶところも、すぐに欲しいものが手に入る環境にはあります。
しかし、コンビニはあっても買い物には行かないし、欲しいものがなければ、いくら立派な百貨店やショッピングモールがあっても、自分には関係のないのです。
それがあるからと言って、幸福度に影響したり、私はなんて豊かなんだーなどと思うこともありません。
そう考えると、なくても大丈夫なものが、実は世の中にはたくさんあります。
その、なくても大丈夫な物を探すのがとても楽しいのです。
毎日『なくても良いもの探し』をしながら、ついでに節約につながることを密かに楽しみにし、いつも一人で、
『なくても良いものをまた見つけたぞ。』
と、手柄のように喜んでいます。
生活を人と比較したり、見栄やプライドで固めてしまうと、今の水準に固執してしまうかもしれません。
ただ、幸福度は人それぞれですから、物に囲まれて幸福を感じる人もいれば、そうではない人もいるはずです。
その中で、本当はどのような生活がしたいのか。どんな生活をもって豊かだと考えているのかを、この機会に考えてみるのも良いと思うのです。
ですから、私は今の社会情勢は、むしろそれを考える良い機会をもらったと考えています。
このことがなければ私の場合は、さらにもっともっとと、欲深人間になって部屋の中で物に埋もれていたのだろうと思います。
買えないということは、それは買わなくていいということなのかもしれません。
欲しいと思っても、改めて時間を置いたり、考えてみると別に買わなくてもいいものはたくさんあります。
すべての出来事には、様々な面があり、悪いことばかりではないのです。見た目の不幸に囚われることなく、また、流されることなく、出来事の真の意味を見抜く力を持つことが大事なのかもしれませんね。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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