ぼんやりする技術
毎日しなければいけないことも多く、また空いた時間には自己啓発や成長のためにいろんな勉強をしている人もいるでしょう。
そして、遊びも必要なので、娯楽を取り入れたり、寝る時間や食べる時間を含めると、時間が24時間あっても足りないと思う人もいるかもしれません。
時間に対して合理的な考えがあれば、時間を効率よく使い、無駄なく過ごしたいと思うのが普通です。
そのために、一度に多くのマルチタスクをこなさなければいけないし、職場ではタイムパフォーマンスを求められることもあるのでしょう。
最近私も、ぼんやり待てなくなったなと感じることが多く、
電車が来るまでとか、病院の待合とかで時間を持てあまし、すぐにスマホに手が伸びています。
とにかく待てない。
私たちはもっとぼんやりしたほうがいいのかもしれません。
ユダヤ教のシャバット(安息日)をご存知の方も多いと思いますが、
6日働いたら、1日は徹底的に休む日を作るという教義の一つです。
その日は、仕事はもちろん、家事も、テレビやスマホからも、とにかく日常の喧騒から離れ、静かな時間を過ごすことを推奨されるようです。
家族や友人と絆を深める時間にしたり、自然に触れたり、あとはぼんやりする時間を作ることが、精神衛生上どれだけ有効かを考えてみるのもいいかもしれません。
とはいえ、忙しい人からしたら、週に一度だって休むことは出来ないということもあるでしょう。
例えば、家事や育児、介護は24時間365日ですし、希望する日に休むことはなかなかできないことの方が多いです。
自営業をしていれば、出来るだけ休まず営業して、利益を得たいと思うこともあるでしょう。
その時は、時間で区切って、ぼんやりする時間をこまめにとるのです。
例えば、夕方から夜にかけて目や耳、口を休ませて、元気を充電させたり、気を保つというやり方です。
デジタルなものを見聞きするのをやめ、また言葉や飲食の慎み、夕方以降は静かに過ごすことです。
静かな夜を過ごすことは、翌日のエネルギーに繋がるでしょうから、それだけでも、変化があるかもしれません。
仕事をする時間ではなかったり、すでに自宅にいるにも関わらず、ずっと仕事のことを考えてしまうこともあるでしょう。
そうすることが良いことだと、そうしなければならないと私も考えていた時期がありました。
しかし、懸命に時間を捧げていたにも関わらず、結果はあまり芳しいことにはなりませんでした。
結局は、息切れをして続かなくなるということにも気が付いたのです。
人生はマラソンで、短距離走ではないということなのでしょう。
日本人は勤勉で真面目な人も多いですから、ぼんやりしていると怠けているような気になったり、そういう風に人を見てしまうこともあるかもしれません。
ただ、そのシャバットで言うと、6日働いたら1日休むことの他にも、6年働いたら、1年休むというのもあるようです。
もしもぼんやりできない理由が、周囲との比較や将来への不安や焦りから来るものであれば、だれも休むことは出来ないでしょう。
しかし、実はそれぐらいぼんやりしていても、大丈夫なんだ、ということを知っていれば、少し安心しませんか。
また、大人になれば、当然ですが、だれも身体の管理や調整をしてくれません。
職場でも、例え家族であっても、それぞれが出来ること出来ないことの境界線を知り、補い合うことが必要となりますから、
普段から、自分で状態を調節しておくことはとても大切なのかもしれません。
現代では、今いる場所がぼんやりしにくい環境であったり、ぼんやりしていることが良いこととはとらえにくいかもしれません。
ただ、休まないで自分に課し、厳しくすることだけが生きることではない、ということも忘れてはいけないのかもしれません。
生きていることの中に、休むとかぼんやりする、何もしない時間を持つ、
ということも含まれているのではないでしょうか。
いかがでしょうか。
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