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Eppan's history 1 * 誕生~中学編

億を動かす女社長 杉本恵里です.*・゚

今日からnoteを始めました♬
シンプルなこの感じ、とっても良いですね♡

amebloはわずか1投稿で風化したけど、これならきっと続けられる!笑

というわけで、早速書いていきます♡
題して…

Eppan’s history

せっかくの初投稿なので、簡単に生い立ちから♡


誕生~幼少期

1985年12月20日 14:07
横浜市の若草病院で誕生しました。

「恵里」という名前は、妊娠中の母が名付けてくれたもの。
「画数や響きから、総合的に決めた」と聞いています。

今は亡き母ですが、「恵里がお腹にいた頃から、恵里ちゃんって呼んでたのよ」という話をよく聴かされました。
不思議なことに、私にも「どこかのベンチで大きなお腹を撫でながら、優しく私の名前を呼ぶ母の姿」の記憶があるんです。

もはや記憶なのか、妄想なのか、勘違いなのか。
確かめようもありませんが、これもきっと胎内記憶の一種。
お腹の中から、外の世界を視てたのかもしれません♡

幼少期の私と言えば、
・夜泣きがひどく、抱っこしないと寝ない
・なのに、超重量級の貫禄baby
・その上、ひどいアトピー持ち
などなど、なかなかに手のかかる赤ちゃんでした。

第一子がこんなって、結構ハードモード…
「うちの両親って凄いなぁ」と改めて尊敬です。

両親・祖母・弟2人の6人家族

私の誕生から約1年後に、夫(私の祖父)を亡くした母方の祖母を引き取る形で横須賀に移り住み、小さな市営住宅で3世代の同居生活が始まりました。

両親、祖母からの大きな愛を一心に受け取り、恵里ちゃんはすくすく成長します。

「恵里ちゃんはすごい」「とってもかわいい」「才能がある」「トンビが鷹を生んだね」など、たくさんたくさん褒めて育ててもらいました♡

3歳・5歳になる年には、それぞれ弟が誕生しました。
前述のとおり、手のかかる赤ちゃん時代を過ごし、たくさんの愛情を受けて育った私は、きっともう十分に満足したのでしょう。
長女にありがちな「ママを取られちゃった!」という感情記憶はほとんど無く(いや、多少はあるけども)、しっかり者のお姉ちゃんへと進化を遂げていきます♡

小~中学校時代

手狭になった市営住宅から、中古の一軒家に移り住んだのが、私が小学校に上がる年。

自宅前の駐車スペースと、車2台分程度の小さな私道は、恰好の遊び場でした。
色鬼・高鬼・氷鬼、キャッチボールに一輪車の練習…。
あんな狭いスペースでよくぞ遊べたなと、今となっては呆れながらも感心します(笑)。
隣近所のお庭や物置スペースですら、かくれんぼや鬼ごっこの範囲内だと思ってました。

そんな子供らしい無邪気な私ももちろんいたのですが、幼いながらに葛藤していた苦しい私も感じるのです。

小中学校の頃の記憶って、誰にとってもそうなのでしょうか?
不思議と、妙に鮮明で。
かと思えば妙に曖昧で…
いまだにうまく整理が出来ません。

表面的には「よくできる子」だけど…

小学校時代の私を振り返ると、表面的には「よくできる子」でした。

例えば、
・授業に参加していれば、大抵のことは理解できた
・テストは常に100点満点(もちろん通知表も◎)
・授業態度も◎(真面目に板書、積極的に挙手・発言)
・市の作文コンクールで、入賞多数
・委員会活動は大好物
・先生ウケ、めちゃくちゃ良い
・得意分野以外でも、それなりに上手くやれる
・誰とでも分け隔てなく、平和に友だち付き合いができる
みたいな感じでした♬

こういうことが、別に大した努力もなく、普通に出来ちゃったんです。

だからと言って、周囲の反感を買うほど目立つタイプでもなかったので、人間関係も常に良好。
とても平和な小学校生活でした♡

かといって、私の内面(本質)が常に平和だったかというと、そんなこともありません。

思い出せるだけでも、
・小1~小4は、学校を休みがち(病欠もズル休みも、どっちも多かった)
・なぜかいつも死にたかった
・自分に自信が無かった
・本当の友達がいない感覚
・自分は誰にも選ばれない感覚
といった感じでしょうか。

箇条書きにしてみたら、意外とダークでビックリ(笑)
知らず知らずのうちに、強い孤独や淋しさを感じていたことに、今更ながら氣付きました。

屈辱の中学時代

なんだかんだ、小学校では優等生街道を悠々自適に進んできた私。
中学校では、勉強でも人間関係でも大きな屈辱を味わいます。

まず勉強面。

進研ゼミの広告マンガにも「小学校と中学校は全然違う!」って書いてありましたが(笑)、本当にその通りでした。

まず、ぶつかったのは《 教科毎に変わる先生 》の壁。
小学校の頃は、どの担任とも相性が良かったので、授業中に発言することも何も怖くなかったのですが、中学になった途端、挙手ができなくなりました

小学校では、
・全教科、信頼している担任の先生が教えてくれた
・分からない時は、授業中でも授業外でも、氣軽に質問できた

この前提(☝)が、中学では土台から崩れ去ったからです。

信頼関係の築けていない人から、一方的に教わる授業(だと私が感じてただけですが)では、何も理解が出来ず、小学校時代に勉強で苦労したことのない私は「分からない時にどうすれば良いのか」が、全く分かりませんでした。

もっと言うのであれば、英語に関しては「This is a pen.」から、もう訳わからない。

お手上げ、チーン。

小学校では「100点」が当たり前だった私は、いつの間にかどの教科も「平均点前後」を死守するので精一杯に…。

これは大きな屈辱でした。

次に、人間関係。

中学と言えば、部活動!
当時スラムダンクが大好きだった私。
加えて、小学校で仲の良かった子たちがみんな揃ってバスケ部に入部するということで、なんのためらいもなくバスケ部へ入部!

そしたら、これは…もう… 大挫折
思い出したくもない、書きたくもないほどの、ド下手糞っぷり。

一緒に入部した子たちの中には、初心者もいたんだけど、ミニバス経験者も多かったので、同じ1年生の中でも実力差はかなり歴然としていました。

このド下手糞な私を、当時の私はどうしても受け入れられなかったんです。

「下手だから仕方ない、初心者だからしょうがない」と諦められたら、真摯な気持ちで練習に打ち込めたのかもしれないけど、当時の私は
「こんなはずじゃない…!」
「いくらなんでも、ここまで下手なはずがない…!」
と、心の中で自分自身に猛反発。

小学校時代、誰にも見つからないように大事に大事に隠し持っていた「自信の持てない自分」を、許可なく勝手に曝け出されてしまったような感覚だったのだと思います。
(いや、誰にも何もされてないんだけどね。単に私がド下手糞だっただけw)

そんなわけで、入部したはずのバスケ部の朝練に顔を出せなくなり、放課後練にも行けなくなりました。

部活に参加できない正当な理由が欲しかったのか、委員会活動には積極的に参加するようになり、そちらで居場所を見つけることが出来ましたが、私にとって中学3年間「体育館」「バスケ部」という場所は、結構な恐怖を感じるものになっていました。

長くなってしまったので、今日はこの辺で♡
いいね・フォロー、いつもありがとうございます^^

次回もどうぞお楽しみに♡

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