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「わたしにピッタリ」を突き詰める

 こんにちは
 由比 ゆり です。
 生きるのむずかしい系女子さんに向けて
 前向きに生き抜くための知恵や工夫を発信しています。



 さて、今回は
 この今現在、これを読んでいるこの瞬間でさえも、
 あなたに ピッタリ しっくり きてますか?
 っていうのをテーマに一緒に考えていきたいと思います。
 よろしくね。


 前に、「目の前のことに集中する」ことが
 お気楽に生きるための第一歩だよ~的な話
をしましたが
 目の前のことに集中するには
 ちょっとコツが必要だったりします。

 集中してる時って
 今やっていることを、他のことが
 実際の ”物理的” にはもちろん
 頭の中のいろんな考えが、ジャマしていない時のことを言いますよね。


 それって、その時の自分の
 気持ち、考えていること、行動、環境など
 自分を取り巻くあらゆるものが
 かぎりなく、自分の感じるもの、求めているもの、
 心地の良いもの、大好きなもの..…にピッタリきている感覚です。

 ものすっごぃ気分の良い状態です。

 「ゾーンに入る」という言い方を聞いたことはありますか?
 「 ”ゾーン” て…中学二年生でもあるまいし」とバカにしたくなりました?
 でもさ、たぶん、生きるのむずかしい系女子さん方にとっては
 そんなに大げさな話には聞こえないんじゃないかな。


 というのも、「生きるのがむずかしい」ってことは
 自分の持ついろいろな感覚と
 生活圏内の現実とのギャップを感じている。
 そういうことが少なからずあって
 その自分の感覚を無視したまま生活するのが苦しい。

 自分の感じていることを繊細に、鋭く、受け取れている。

 それができているから
 現実の生活圏内では自分の感じたままに生きるのがむずかしい
 ということです。


 私はずっと知らなかったんですけど
 「自分の感覚」に鈍感な人の方が周囲に多いらしくて。
 だって、自分の思いどおりにならないとあんなに大騒ぎで
 あんなに被害者であることを主張しながら攻撃してくるのに
 一方で、自分が何を好んで、何を求めて、どんな信念を持っているのか
 「あなたの着地点はどこですか?」って聞くと
 「わからない」って。
 私には「そういうもの!?」という驚きでしかありませんでした。

 自分の感覚にしっかり向き合っている人が
 生活圏内にあなたしかいなかった場合
 みんなが、勝手に我慢したり、評価を気にしているが故の行動をしたり
 「よかれ」と思って悪しき慣習をすすめてくれたり
 「みんな(この私が)やっているんだから、あなたもやるのよ?」という
 そういう空気をまとって生活している環境に身を置かれます。

 もー、うんざりしちゃいますよね。


 そんな中で自分だけが
 空気を読めるにもかかわらず、
 その場の同調圧力どうちょうあつりょくに負けず
 直接的な批判、お叱り、罵倒にも負けず
 「自分の感覚にピッタリ」の心持ちで、行動をする。

 考えただけで、過酷。
 成し得たら、すっごいファイターですよね。


 んで、それをやらないことの方が苦しく感じてしまう。
 それが【生きるのむずかしい系女子】です。

 過酷な状況下でも、戦いながら生きる方がよっぽどラクなんです。
 「ラク」っていうと語弊がありますね。
 めっちゃ苦しいし、孤独だし、
 このまま進んで大丈夫なのかわからなくて不安だし、
 生きるのをやめたいくらいの気持ちになっていました。
 ただ、何かを成し遂げて、目標を達成できた時の
 あの高揚感。これがもう、たまんねぇーんすよね。
 自分にしかできない。自分だからできた。
 それを感じられない方が苦しい生き方なんです。

 自分の感覚を押し殺して生きていけるような
 そんなヤワな感覚を持った人間ではないからです。

 「ふつう」っていいなぁ。と思います。
 「ふつう」ってむずかしいなぁ。
 「ふつう」ができる人、すごい。とも。


 ただ、戦わずして「ふつう」を装って生きていけたとしても
 自分の感覚が訴えてくる違和感にずっと責められ続けます。
 自分のピッタリから目を背け、向き合うことを放棄しているために
 何もかもが「ちがう」んです。
 結局のところ思うように人生が進んでいかないだけの
 ただただ苦しい20年間を過ごすことになりました。(実話

 今思えば..…高校生の時には、周りとガンガン戦っていて
 毎日メンタルはボロボロながらも
 「自分にピッタリ」しかできない自分と向き合って
 すごいことを成し遂げていたなぁ。
 その話はまたいつか。


 そういう長すぎる苦い経験がある身としては、やはり
 「自分にピッタリ」を習得?して
 生き生きと暮らせる女性が増えることを望んでしまうのです。


 じゃあ、「自分にピッタリ」とは何か。
 

 たとえば、
 「音楽が好きです」
 ふわっとしてますよね。
 
 聴くのが好き
 奏でるのが好き
 教えるのが好き
 つくるのが好き ............…

 「奏でるのが好き」だとして
 歌うのが好き
 楽器を演奏するのが好き
 打ち込みで演奏をするのが好き ......…

 「歌うのが好き」だとして
 どんなジャンルが好きなのか
 心地の良い発声方法は
 どんなところで歌いたいか
 などなど 誰に忖度そんたくすることもなく
 自分にとっての心地良さを深掘りしていきます。

 本気で自分にピッタリの、「好きの精度」を上げていく作業を進めて
 不安の声とか
 心配の声とか
 そういったネガティブな意見をガン無視した状態で
 「私がかんがえた最強の自分」を見つけて
 それに向かって毎日を過ごす
 ということです。


 それを見つけるには
 ひとりの時間を、静かに過ごすことです。


 初めは「今現在のここにいる自分」に集中できないかもしれません。
 何かを思い返してみたり
 今日あんなこと言っちゃったのはマズかったな、と反省してみたり
 明日はアレがあるのか…ダルいな、と憂鬱ゆううつになってみたり
 頭の中がグチャグチャかもしれません。

 その思考しこうを止めようとしてみます。
 「何も考えないぞ!」は逆効果なので
 私のやり方を紹介すると
 耳の中から聞こえる、シーーーーンとかチリチリとかいう音
 それを集中して聞く感覚と言えば伝わるかな。

 シーーーーンとチリチリに集中していると
 眠いような、脳みその重さが和らいで、
 頭がぽわぁっと浮かびそうな感覚がしてきます。

 その感覚が、まだ研ぎ澄まされていない
 ふわっとした状態の、「無」を感じ取ろうとしている感覚です。
 これがうまくなってくると
 「自分にピッタリ」の感覚を探し当てるための
 最強スキルになってくれるんです。

 生きるのむずかしい系女子の中には
 ずっと不安や心配などの思考で頭の中を忙しくしてきた
 悩み多き人もいるでしょうから
 この「頭の中がからっぽ状態」が気持ち悪く思えたり
 「そんなことより、あれの解決方法を考えなきゃ」と焦ってしまったり
 なかなか頭の中のグチャグチャと離れられないこともあるでしょう。

 今はこの提案を聞き入れられないかもしれません。

 だから、いつか、ふと思い出した時にでも
 あまりにもつらすぎて、何かに助けを求めたくなった時にでも
 あなたが取り組めるようになったタイミングでいいので
 「自分にピッタリ」の感覚を探し当てるための最強スキルを
 習得してみてください。


 そうすれば
 あとは何か「好きなこと」をやろうとした時に
 頭がぽわぁっと浮かびそうな感覚のまま
 取り組むことができること
 そういうのを選んでいけばいいのです。


 「好きの精度」が鈍っていると
 「自分にピッタリ」からズレるので
 後頭部のあたりがズシーンと重怠おもだるくなります。私は。
 あなたの感覚に合わせてやり方は工夫できると思います。


 それを粛々しゅくしゅくと進めていくことで
 頭の中のグチャグチャが晴れてきて
 自分に集中することができ
 穏やかな気持ちで過ごせるようになってきます。

 そうすれば、あとは
 あなたの得意なことに専念するだけです。


 やるしかなくなるんです。
 とは言っても、追い詰められる感覚ではなくて
 「もう、これだけやってればいいんだよね」に近い感じの
 「こればっかりやってていいの?」的な気持ちです。
 自分に、「自分が得意なことをやってもいいんだよ」という
 許可を出せる感じです。

 不安や心配は無視してもいいことにも気が付くことができるので
 たとえ思考の邪魔が入ったとしても
 「もう大丈夫だよ」と、自分に言ってあげられるんです。

 これは良い気分ですぞ。


 というわけで
 今現在この瞬間においても
 違和感を無くしていく
 集中していく
 「自分にピッタリ」を突き詰めて
 心地良い気分のまま
 得意なことばっかりやっちゃおう
 というご提案でした。


 今日はここまで。



 あなたが気がつきさえすれば
 あなたは真に美しい
       _____由比 ゆり




自分の経験をもとに、後進の存在に向けての活動をしています。応援してくださる方、サポートをお願いいたします。