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とある映画のレビュー(※閲覧注意)

 うららかに晴れた5月のある日。午後から半休をもらった私は、部屋に差し込む柔らかい日差しを眺めながらアイスカフェオレを飲んでいた。趣味で育てている観葉植物たちは、思い思いの方向に新芽を伸ばしている。おもむろにテレビのリモコンに手を伸ばし、深く息を吸い込んでから再生ボタンを押した。









 私にはあるポリシーがある。
「一度観始めた映画は絶対に最後まで観る」
合わないなと思ってもどこかのタイミングで面白くなるかもしれないから。途中まで観て放棄するのは監督や俳優への冒涜だ。
…まさか自分の信念にこんなにも苦しめられる日が来るとは。思わず尺を確認してしまった。

 無理やり褒めるとすれば、トレインスポッティングを何百倍も過激にしたような映画。ずっと何を見せられているのだろう。汚い。画面がひたすら汚い。汚い。SHARPだってこんな映像を映すためにテレビを製造している訳ではあるまい。

 ムカデ人間もきったないのだが、あれはまだかろうじてストーリー性がある。こちらは了解不能、不愉快なだけの断片的な映像をずっと見せられる。何かのメタファーなのか、どんなメッセージ性があるのかと必死に考える視聴者を嘲笑うかのような作品だ。これがアートだと言われたら太刀打ちできないが、この映画の制作に関わった方々には、深刻な悩みがあるなら一人で抱え込まずに専門家に相談するよう伝えてあげたい。何らかの医療的ケアが必要に違いない。

 これを観た人が世界中にいると思うと何だか心強い気持ちにさえなってくる。これからの人生でどんなに辛いことが起ころうと、この映画の前ではもはや何の意味も為さないだろうから。人間の業は深い。

KUSOみたいなこの世界、生まれ落ちたからにはKUSO楽しく生きてやろうぜ。


最後までお読みいいただき、ありがとうございました。


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