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【771回】櫻井とりお「虹いろ図書館のかいじゅう」を読んだ。

櫻井とりお「虹いろ図書館のかいじゅう」を読んだ。

自分たちの中にいる「かいじゅう」は、自分を困らせる存在なのか、それとも味方になりうるか?第1作主人公の火村ほのかをいじめた加害者の「かおり姫」と、シリーズを通して登場する半身で皮膚の色が異なる司書のイヌガミさんを通して、物語は進む。


頭の中に浮かぶキーワードは、「根っからの悪人はいるの?」とつながる修復的実践であり、「もう1つの自分」を外在化する当事者研究である。また、劣等感や自我同一性といった、エリクソンの言う発達課題も含まれよう。


終盤の大どんでん返しについては、様々な推測が飛び交いそうだ。答えがないものに、「わからん」「結局、なんだったの?」という評価をつけそうになる。答えは自分が出してよい。ならば、僕は「かいじゅうは心の中に、何匹か存在するのでは?」という答えを出そう。

自分を動かす「かいじゅう」ではなく、自分のそばにいる「かいじゅう」もいるはずだ。その「かいじゅう」ほ成長する自分を見守ってくれる。自分の体は大人に向けて大きくなる。「かいじゅう」は子どもの姿のまま。何年も自分を見守ってくれる。「かいじゅう」との折り合い、コントロールの仕方を習得する時期は、思春期・青年期なのだろう。「かいじゅう」に名前をつけ、キャラクターにした外在化により、自分と「かいじゅう」を切り離して生き方を模索する。そのような実践が現実でも、進んだらいいなあ。

小学生高学年・中学生向けの物語とは思えないほど、深く没頭して、まだまだ読後感を書いておきたくなる物語だ。