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【340回】どちらかを選ぶ義務はない(191121)

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

英国の中学校に通う著者の息子のエピソードから、富裕と貧困という階層、移民やもとから住んでいる人たちとの分断、多様性について考えることになる。

読んでいてたら、こんなセリフに出会った。

「どうしてどっちかじゃないといけないんですかね?」

「どうして『ブリティッシュ』か『ヨーロピアン』のどちらかを選ばなくてはいけないのでしょう。僕は両方あっていいと思います」(p63)

著者の息子が通う中学校の校長が、このように言う。

「ブリティッシュ」とは英国人ということだ。
「ヨーロピアン」とは欧州人ということだ。

英国にいる君は、何人なのだと問われる。

「僕は、イングリッシュで、ブリティッシュで、ヨーロピアンです。複数のアイデンティティを持っています」(p64)

校長は言う。
「イングリッシュ」はイングランド人。イギリスは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つで構成されているが、「イングリッシュ」はそのうち1つの国だけを指す。
「ブリティッシュ」は英国人というのは先程示した通り。「ヨーロピアン」はさらに大きな範囲になる。

ピーンとくる。

僕は日本人だ。
だが、日本も広い。単純に都道府県にわけても47に区分けできてしまう。東京都の特別区だけでも23区。札幌市でも10区。
札幌市豊平区人とか札幌市南区人とか、細かく細かくいくらでも分断できてしまうのではないか。
つまり、先程の校長の言葉を借りれば、例えば、「札幌市南区人であり、北海道人であり、日本人であり、東アジア人である」というように言える。

僕のことをあげれば、国内のことをあげるだけでも、「北海道人であり、東海人であり、関西人であり、愛媛人であり、福岡人である」と、もはやわけがわからない。

表面上は長いこと住んでいる北海道人。
しかし、丸ぼうろを見たら福岡人になる。(丸ぼうろは佐賀の名産?とりあえず福岡にいたことを思い出す喩えということでお許しを)。
JR四国の列車の写真を見ていたら、それが下灘駅なんて見た日には愛媛人になる。心の中は関西弁だし、八丁味噌と出会えば東海人。
つまり、育ちの過程で僕と同一化していったものがある。人生の半分以上は北海道で過ごしているため、中心軸は北海道になっているとしても、東海、関西、愛媛、福岡のことは、僕から分裂して消えることはないだろう。

自分を形つくっているものを、何かひとつに選ぶ必要があるのだろうか。

ああ、一六タルト食べたい。
ジンギスカン食べたい。
明石焼きも食べたいぞ。

懐かしいー