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【#550】くるまはアジール(220628)

宇佐見りん「くるまの娘」 を読んだ。

家族とは、人が形成する最小単位の社会である。そしてそれは、受け継がれていく呪いなのではなかろうか。あったことをなかったことにしていく呪いだ。切り捨てることは許されない。

家族を景色にしてしまう、無機物に変えてしまう、征服するされるような牢獄は、誰かが止めなければいけない。いつまでも呪いは受け継がれてはいけないのに。厳しい。いったいもう、何なの?どうしたらいいのだろう。家庭内で戦争があるのなら、そんな家庭を基盤とする社会は、再生できないの?

読みながら幾度も眠くなる小説だった。退屈だからではない。苦しいから、読み手である僕自身を僕が守るために、睡眠という守備スキルを発動させただけのこと。

誰も正常ではない家庭。 そもそも正常とは何だろうか。 傷つけられても、なかったことにされても、暴力の世界に沈められながらも生きる手伝いに頼られたら、役に立ちたくなる。 外部からの救出が、お節介になるのか…

それでも、脱出する。せめて、沈みすぎず、半分は外にいる気にしてくれる誰かに繋がっていて欲しい。だからこその、家でも全くの外部でもない。車がいい塩梅の居場所なのだろう。

そう、車はアジール。
主人公かんこにとって、アジールが車、そして学校、さらにはどこかと、増えていきますように。依存先が増えることで、たとえ家庭から離れられなくても、生きていきやすくなりますように。