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【770回】確認者の足場を、確かにするエッセイ

寝る前に、確認する。「心臓よ、明日も動いておくれ、僕は生きたいのだ」と。

起きてから、確認する。「心臓よ、今日も動いてくれたね。今日も朝を迎えたよ。生きよう。ありがとう」と。

そして、カーテンを開ける。外を見る。昨日と同じ建物、木々。

真っ白な世界に変わっていても、朝からむわっとする暑さでも、世界は続いている。僕が生きる世界の確認をする。

この世にはさほど必要のない「確認」もあり、わたしは、そのさほど必要のない確認のために、そこそこの時間を費やしていることに気づいたのでした。

益田ミリ「小さいコトが気になります」(p11)

週末になるたびに、エッセイを読みたくなる。
2月10日〜12日の3連休に開いたエッセイは益田ミリの本だ。
「さほど必要のない「確認」」をしてしまう。それは確認者と言ってもよい。ひとつの能力。ひとつの癖。そんな「確認」がテーマの本だった。

僕も確認者だ。例えば、家を出る前に、ストーブを消したか?というような絶対必要な確認もある。けれど、つい確認してしまうものがあるのだ。他人からみたら、確認する必要があるとは思えない。些細なものに、気づいては確認してしまう。ちょっと僕は変なのではないか?と呆然としてしまうときもある。

他人にとっては、してもしなくても、どちらでもいい。ところが僕にとっては、ちょっと必要。そんな確認行為は、僕という個人に必要な営みだ。つまり、僕は安心や楽しみのために確認するのだと思う。

益田ミリはどうだろう。読んでいると、ふっと笑顔を作りたくなるような文章。きっと楽しいのだと思う。


そうだな。楽しもう。
僕は店に行き、食料品を買う。
野菜の産地や、商品が作られている会社の住所を確認する。
どうして、この野菜はどういうルートで、宮崎から北海道まで来たの?
なんて、想像しながら。
ああ、社会はつながっているなどと、ありがたい気持ちが湧いてくる。

やっぱり、安心や楽しみのために確認するのだよ。

本を読み終えて、僕という確認者の足場を、確認した。
堂々と確認者として生きよう。