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【294回】仕切り直す(191006)


「『当たり前』をひっくり返す――バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた『革命』」を購入した。



中身をパラパラと見る。精神科、オープンダイアローグ…。当然教育書ではない。

おそらくこの本も、「居場所」に関わると思う。思うに、僕はやはり、「安心」と「居場所」について、こだわっているようだ。


今は病気療養中で、復帰へ向けて意識を整理しているところである。

「学級」が。もしくは「学校」が。生徒が安心していられる居場所になってほしい。理想をいえば、生徒たちが、安心して過ごす居場所を作って欲しい。しかし、そのような実践を、僕は作ることができていない。

具体的に言えば、もっと生徒同士が関わり合うこと。まずはお互いに楽しむことができるような関係を作る。

あんなことができる。こんなこともできると想像して、担任に提案する。しかし通らない。

可能性があるのに、できない。そのことに、まわりを責めて、自分を責める。

だが最近気づいたことがある。
単に、僕がやりたいことができないだけで、担任にやっかみを抱いていただけではないか。

僕が担任をしていた頃、僕は生徒にも保護者にも信頼を得て、学級作りをすすめることができた。だが、僕は生徒を囲んでいた。学級に配属されている他の教師を落ち込ませてしまったのだ。結果的に、この次の年、担任を受け持ったとき…生徒と保護者の信頼は得たが、1人で抱え込みすぎ、年度途中でリタイヤしてしまった。

結局、同僚とうまく付き合えない状況が、ずっと続いている。自分からたくさん声をかけて、話し合って、実践をするようにがんばってきたつもりだが…結局燃え尽きている。

特別支援学級や通級指導教室で仕事をしたいという思いがある。個に応じて、支援ができる。おもしろそうだ。
でも心の奥には、特別支援学校のように、他の同僚に「邪魔」されない状況を作ることができる。自分の責任は大きくなるが、自分がまずやってみたい、生徒と一緒になって、学級つくりができるのではないか!という、甘い野望が、くすぶりつづける焚き火のように残っているのである。

特別支援学級や通級指導教室でも、同僚との関係は欠かせない。「こうしてよ!こう配慮してよ!」「なんでできないんだ!」という頭ごなしの言い方をしそうである。

そうじゃない。

まずは…普通に、雑談から実践を話すことができる、相談できる同僚と話をしていこう。

お互いに歩み寄って、指導の方針を決めて、協力して仕事をすることができるだろうか?

例えば、「掃除」とかで、小さなことから指導の方針を決めて、生徒に相談して、取り組んでみよう…。


今日は、これから研修会。

北海道に特別支援教育について学ぶ人がたくさんいることがよくわかる。
みんなどんな風に、職場で生活をしているのだろう。