見出し画像

【354回】職場のことを考えたら睡眠時間が少なくなってしまう(191205)

眠れない。
お腹がしくしくする。
合わせて、風邪が治らず、喉が痛い。たんがひどい。下痢もある。

なんなのだ。体が弱っている。
そんなときに、職場のことを思ってしまった。
不安は、変わらない。

教師の仕事は、自己実現のためにあるわけではない。組織として決められた枠がある。その中で、それぞれの「得意」を生かし、仕事をしていく。強固な組織だからこそ、揺るがない安心があり、逆に、凄まじい窮屈さがある。

職場復帰は1月6日。復帰のことを考えると、4つの不安点が生まれてくる。
「職員室で同僚と過ごす窮屈さ」
「苦手な生徒ととの関わり」
「退勤時間後の業務や会議」
「自由時間がほぼ無い生活」

対応を考えたい。


一人として同じ大人はいない。「この大人となら関わりやすい」という、自分が安心できる大人もいる。
なんとか年度末まで生き残らなければならない。

「生き死になんてオーバーだよ」とある同僚に言われたことがある。そのときは笑ってごまかした。けれども、決してオーバーではない。自分を徹底的に否定し、要求も言えず、ただ増え続ける仕事をこなし、同僚に叱られ、涙が出て、そのようなとき、高いところから下を覗いて、こう思ったものだ。

「ここから飛べば、解放されるかな」

実際に飛ばなかったのは、自分に踏みとどまる力があったから。
回復する力もある。


最近、寂しさが強い。
先週は研究授業をしたいと言っていたのに、本当に教師としてやっていけるのかという不安がおそいかかる。
日によって、心の波が大きい。
躁鬱なのかなあ。
いや、自分で自分を下げているだけだ。たぶん、自分がやりたいことが多すぎて、それができない自分を許せないのだ。自由時間でさえ、自分のキャパシティを超えている。

散歩をし、公認心理師の勉強をし、自分を批判しない方法を学び、平行読書3冊、散歩、スマホでSNSを更新する、スマホでゲームもする、新聞を読み、ネットニュースを見る。それで、時間が足りないと言っているのなら、なにかやることを減らすべきなのだ。

いや、それを毎日しようと思わないことだ。やりたいと思ったことをやればいい。自分の時間では。

こういうときだからか、偶然なのか、卒業生から連絡があって、おもしろそうなことを教えてもらう。

机の上には、坂口恭平「まとまらない人」が置いてあって、つい開いて読んでしまう。

自由時間くらい、気ままに過ごしていいのではないか、と思えてきた。

そうしないと、少ない自由時間を生かすことさえできない。