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眠っていた街「夕張」:夕張フィールドワーク報告1「まだ、死んでません」

先日、職場の同僚から関係者を繋いで頂き、夕張フィールドワークに行ってまいりました。

「夕張市」と言えば、地域活性化の文脈で知らぬものはいない自治体。言うまでもないですが2006年に破綻宣言を出し、財政再建団体として公共サービスをギリギリまで切り詰め、借金返済を行っていることで知られています。そのため、夕張の「惨状」を語るものがネット上には溢れています。

この本も参考になりました。こちらは鈴木直道夕張市長の奮闘記。

こちらは小説。「夕張」とは言っていないけど、明らかに夕張がモデル。

さて、実態はどうだったのか。夕張は「死んだ街」なのか。結論から言うと、死んでいませんでした。「眠っていた」が正しいかな、と思います。

朝、札幌で一般社団法人清水沢プロジェクトの代表理事の佐藤真奈美さん※と合流し、車にて夕張に向かいます。車内では佐藤さんから、夕張に関する基礎レクチャーを受けます。夕張の歴史はYの字に流れている二本の川沿いの山から石炭が見つかったことに始まります。その後、川沿いに炭鉱ができ、街ができ、電車ができ、1960年代には最盛期を迎えました。

その後、石炭の需要が減るにつれ、東側の三菱が撤退し、西側の北炭(夕張炭鉱)もジリジリと衰えていく。そのタイミングで生まれたのが、中田鉄治元市長の「炭鉱から観光へ」でした。1982年の北炭の大事故もあり、観光事業の役割は年々重くなっていきました。

遊園地も破綻直前までは上手くいっていたようです。しかし、遊園地は維持費や新しいアトラクションの設備費がかさみ、それが経営を圧迫していたようです。最後の最後まで頑張ったものの、松下興産のマウントレースイスキー場の購入や赤字隠しなどもあり、こらえきれず破綻した…というのが実態のようです。

さて、札幌から一般道で2時間ほどで夕張に到着しました。

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膨大な「メロン畑」が、私達を迎えます。…と、言っても夕張のメロンはあくまで「一部」。夕張西部と南部に集中していました。佐藤さんいわく「メロンは異世界」とのこと。

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いよいよ中心地へ。夕張は炭鉱の街で、札幌から200〜300m登ります。そのため、天候が急に変わる。なんだこの物語性…!

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最初に私達が立ち寄ったのはJR石勝線(夕張支線)の清水沢駅です。清水沢駅は122年目の駅ですが、来年夕張支線と共に廃止が決まっています。

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駅舎の中では、清水沢プロジェクトによる「清水沢駅の思い出展」が開催中でした。会期は終了しているのだけど、そのまま展示しているとのこと笑

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よくある展示だなあ…と最初は思っていましたが、よく見ると思い出のコメントの中に「現在形」のコメントがあります。

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左はてっきり「死んだ街」だと思っていたけれど、おそらくまだ小学生ぐらいじゃないでしょうか。今もピアノを習っている。右の写真は、「とんこつラーメンがうまい」というコメント。どうやら駅前食堂のことじゃないかとは佐藤さん。あれ?夕張はまだ死んでない?

さらに駅前の陸橋「総合福祉センター通線」を登ってみました。すると、そこには違和感のある草むらが…。

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右側の記念碑にもあるのですが、この場所はそもそも清水沢小学校があり、1989年に廃校になっていました。廃校後、総合福祉センター構想があったものの破綻により頓挫し、今に至っていました。

と、ここまでは「やはり夕張…」となるのですが、実は「認定こども園」が2020年度にオープン予定。総合福祉センター構想が潰れたことで、一周して最先端の施設ができるかもしれないということ。

あれ、やっぱり生きてる…?

そして清水沢プロジェクトの事務所へ。その近くで、私は決定的なものを見つけます。これ何に見えますか?

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これ、「クリスマスツリーの骨組みを脚立で作ったもの」なんです…!

佐藤さんによると、炭鉱内で必要なものがなかったら自分で作るしかない。だから、夕張には「ないものは作る」文化があるのだ、とのこと。

ここで私はデジタルファブリケーションカルチャーとの接合を感じました。僕たちは、現在大量消費・大量生産のカルチャーから苦労して抜け出そうと精一杯。特に地方都市はまだまだ追いついてない(札幌では会員制のファブリケーションスペースMaker's Baseが2016年12月に閉店しています…)。私達が理想としていた「未来のものづくり社会」のマインドが、夕張に住まう人々には既にインストールされているのではないか。これからの社会で求められるのは、夕張の人たちが持っていたマインドではないか。

夕張は生きているし、また活かされる文化を持っている。

夕張滞在2時間で、そんなことを感じていました(その2に続く)。

※佐藤さんについてはこちらも参照。修士課程時代のエコミュージアム研究をきっかけに夕張に関わり、現在に至ります。過去もいくつもの取材に応えられています。


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