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自分のペースで学習する!?

なかなか分かってもらえないお話。

以前もここでお話をしたのですが、「それぞれのペースに合わせて無理なく学習する」ということについてです。

生徒一人一人に寄り添っていて、なんかきめ細かくて良いなという印象が強いのではないかと思いますが、自分は大いに子どもの能力をスポイルする可能性があると常々思っています。

もちろん全否定するつもりはなく、状況によっては効果的だとも思います。

中学受験の学習で、まだ精神的にも成熟していない子どもに、画一的に規定されている量の負荷をかけて完全にキャパオーバーになってしまい、その後の学習モチベーションに大きな影響を与えることになってしまったら意味がありませんし、その子の可能性を潰してしまうことになってしまいます。そういう時は、その子の成長段階を見極めて「その子のペースに合わせる」べきでしょう。

また、例えば、数学でずば抜けた力を持つ子に、「みんなと合わせろ」というのも愚かです。共通して学習することはいっしょにやって、別で課題を用意すれば良いと思います。

ですが、一般論として、なんでも自分のペースでやっていて良いのかというと甚だ疑問です。

わかりやすくある子どものキャパシティを数値化してみます。数字には特に意味はないです。

例えば、現状キャパが8の子がいたとして、ずっとその子のキャパ数値である8の負荷をかけ続けても、いつまでたってもキャパは8のままのはずです。その子が、仮に「学習が大変だから減らして欲しい」なんてことを言おうものなら、キャパ8の子に負荷6をかけるというマイナスのことにもなりかねません。

それぞれのペースに合わせると言うことは、大変だとなれば負荷を減らすということも含まれるはずです。

もちろん、もっと負荷をかけてくれと言ってくれると良いのですが、そういう子は通常、そういう環境を初めから選んでいる可能性が高いはずです。

やっぱり、今よりも能力を高めたいとなれば、「キツいな。。。」というラインを超えていかないといけないはずです。

ちょうどよかったら、それは自分のキャパの範囲内のことしかやっていないわけですから。

今の自分よりも成長したいということで塾に来ているはずです。
それは難関校を目指す生徒も、苦手科目の補習を目的にしている生徒も同じです。

やる内容が違うだけで、いや、本当はやる内容も違わないです。

極端に易しい、極端に難しすぎるということでなければ、基本的なことから、ある程度発展的なことまでは共通項として扱うべきだと思っています。それが少々大変な課題であったとしても、しんどいなと思いながらやるべきだと思います。

その中でどうしてもやりきれないことがあっても、それはそれで構わないじゃないですか。

仮に自分のキャパが現在5で、10の負荷が出てきたら、6でも7でもやればそれは成長なわけです。キャパ8の子が負荷10全てやっているから自分も10である必要は全くないわけです。

若干ペースオーバーするくらいが、それこそ「ちょうどいい」はずです。

「無理なく」というのは、優しさのようで、実は場合によっては優しさでもなんでもないこともあるのです。