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東京を離れた6日間で感じたこと。

先々週6日ほど、ワーケーションの一環で東京を離れていました。
こんなにも東京を離れるのは久々で、とても新鮮でした。


なんと初日から雪。
ただでさえ寒い地域に行って寒暖差に身体が着いていけてなかったのに、さらに雪まで降ってしまって鼻水が止まりませんでした、、。


お店の数、聞こえてくる音、空気の澄み具合、見える星の数、何もかもが違う世界。
田舎に来て感じた3つのことを綴ります。


不便さが考えるきっかけをくれる


私たちは思い返せば二人とも、地元は違うものの田舎という田舎に住んだことがありません。


これまで住んできた場所は、住宅街で、徒歩や自転車でいける距離の駅前は栄えており買い物もすぐできる。
交通の便が良くて大都会にも苦労せずに出ることができました。


なので、車を10分走らせないと何も買えないレベルの田舎には住んだことがなかったのです。
今回は、素泊まりで住むように過ごしたというのもあり、不便さや都会との違いをより実感しました。


お店やモノの溢れた都会では、情報量が多くて次から次に事もモノも消費していきます。
それが当たり前だと思っていたからこそ、違う世界に来たんだ、と気付きました。


モノも情報も、取りに行かないと入ってこない世界は、穏やかで、選択の余地を十分に与えてくれます。


ご飯を食べるにしても、何か物を買うにしても、どこかに行くにしても。
選択肢は多くないけど、自分が何を求めているのか、なぜそれを求めているのかを今一度立ち止まって考えるという時間がありました。


広告を中心とする情報に溢れた東京ではできない、”いちから自分で調べる、考える”という工程を強く感じる機会を与えてくれたように思います。


静寂の世界


「世界は本来、こんなにも静かだったんだ」ということを知りました。


今の家もオフィスも、幹線道路がすぐ近くにあります。
また緊急車両もよく通るので、家にいてもオフィスにいても、昼夜問わず全くの静寂が訪れることはありません。


だからこそ、日中も夜も建物の外はずっと静かなことに驚いたのです。
車や電車といった音のない世界は、自分たちの声や風などの自然の音がクリアに聞こえます。
これまでいかに雑音の溢れた世界に身を置いていたかということを気付かされました。


そして静寂の中にいると、余計な音が脳を刺激することなく、本当の意味で脳を休められている感じがしました。


どこにいても、結局は誰と過ごすか


今回はゆりちゃんと、その他3人のメンバーで過ごした田舎での生活。
とにかくとても楽しいメンツで、日中はそれぞれの仕事をするけど、ご飯はみんなで一緒に食べ、夜は毎晩ワインを飲んで宴会。


大好きな人がいれば、たとえ何もない田舎に行っても楽しいんだなと思いました。


自分たちにとって、仲間、友達は生きていくうえで一番重要な要素であり、大好きな人たちが近くにいないならその場所がどんなに魅力的でも行きたいと思えないほど。


改めて、自分たちは人重視な人間なんだと実感したのです。


6日間の田舎での滞在を経て、時には都会から離れて余白や静寂をつくる時間も必要だなと思いました。


と同時に、ずっと田舎にい続けるのは合っていないかも、ということも感じたのが正直なところです。


いい意味でも悪い意味でも、情報も人も少ない世界。
市場を捉えてビジネスをしていくには、やはり都会に出て情報を仕入れ、人に揉まれることも必要不可欠だからです。


なので近い将来は、田舎と都会のハイブリットで生活しようと誓った6日間でした。

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