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障害者雇用 かつて手術した脳は

私はかれこれ10年以上前、脳の手術をしている。

硬化してしまった左脳の海馬と扁桃体という記憶・感情をつかさどる部分を切除したほか、脳内で情報が行き交う神経経路を切るという手術である(というとなんだか痛々しいのだが)。

これは脳波の異常な流れを起こらないようにするために根源とルートを物理的にシャットアウトするという原理である。

おかげさまで手術後には意識消失の発作は起きていない。

(年に一度の脳波検査では、脳波に乱れが残っているようではあるが。)

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発作が起こらなくなった分、記憶に影響が及んだ。

かつて覚えたことを思い出すのにも時間がかかったり、新たなことをインプットしてもすぐに抜け落ちていたりと途方に暮れることが何度もある。

実際に手術直後はほんとうに心の底から呆れるほど記憶力が機能しなくて、そのたびに歯がゆい気持ちになっていた。

テレビで関根勤を見て名前をひねり出そうとしても、ちーっとも浮かばないのである。

絶望と同時に、さすが脳の機能って素晴らしいのだと改めて思うほど、記憶の意義深さを実感していた。

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私の一番あてにならない部位は、脳である。

医師からも言われていたのでその後徐々に機能しているような気もするが、やはり昔のようにはいかない。

だから今回就職したときにも、自分の記憶に頼るのはやめよう、新しい情報を細かいところまですべて書き出そう、2回目に見たときにすぐに取りかかれるほど詳細に書こうと決意し、とにもかくにもメモをとりまくった。

ノートを見返すと、コピー機のボタンをピッと押してコピーしログアウトする、まで書かれている(笑)

もちろん発作が激減したので、手術は私にとって良い対処法である。

手術に関して後悔はまったくしていない。

記憶については手術前に医師からも何度も言われていたし、あらかじめ強く覚悟をしていた。

複雑な手術をご快諾くださった医師には感謝しているし、その後ほかの医師からも手術したから発作が減ったんだね、感謝しかないねと言われたのもあって、本当によかったなと胸をなでおろしている。

記憶力が弱くなってしまったのは、その分の代償である。

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これまではずっと自分の脳に途方に暮れたりしていたのだが、そんな中で徐々に考えが変わったのは、今の職場のおかげである。

そもそも障害があるため対応は手厚く、場合に応じて業務量を減らしてくださりもする。

体調が悪くて早退したりするとチャットで「無理はしないでゆっくり休んでくださいね」と温かいメッセージをくださったりする。

そしてなにより一番重要なのは、記憶力に関してこれまでなにも言われたことがないことである。

ただの一度も。

忘れることはしょっちゅうだし、過去のことをとっさに聞かれても私はぽかーんとするしかない。思い出せないのである。

それでも周りはなにも言わず、なんとか別の方法で答えを見つけ出そうとしてくださる。

やさしいのだ。


こういう環境に置かれることで心の底から最近思えるようになったこと。

それは、「記憶力なんて、開き直ってよい」 である。

このあいだも提出したデータに対して担当者から指摘があったのだが、「これ先輩からそもそもやり方聞いてたっけ?」と思うようなことがあった。

ただこれはもう、聞いていないかもしれないし、本当は聞いていて私の記憶からすっぽりぬけたのかもしれない。

うーむ、わからない。

よしこうなったらもう、開き直るしかないだろうと意を決し、先輩に「過去に聞いていたら申し訳ございません。あらためてご指示いただいてもよろしいでしょうか」と聞くという強硬手段を取り、その後すぐに先輩が快く教えてくださり、そのおかげでスムーズに対処することができた。

重要なのは、自分の記憶うんぬんよりも、対処するスピードだろうと思われる。

手術で記憶力が弱った。弱ったのだが、そんなことはそれこそ周りにとっては良い意味でどうでもよくて、私に求められるのはスムーズに情報処理をして業務につなぐことであり、それができれば周りにとって大きな問題はない。

もっといえば、もしできなければ別の方法を考えればいいし、他の社員さんを堂々と頼ったりすればいい。

「すみません、すっかり忘れました!」と言えば周りはなんとかしてくださる。

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手術した脳と向き合い、今の職場で働いてわかったこと。

それは、記憶の代替手段はいかようにもあって、

周囲も理解してくれて、

すなわちけっこうなんとかなるもんなのだということ。


自分の脳の機能にいらだつこともあるけれど、

それ以上に、周りはもっと温かいのである。

ーーーーー日々つれづれと続く



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