はじめに
一度救われた人は、もはや救いを失うことはない。
そんな教えが主流派を占めるようになりました。
これは本当でしょうか。
ご一緒に、聖書から調べてみましょう。
救いの確定を教えているように見える箇所
これらの箇所から、私たちはすでに救われており、天国行きが確定しているのだと教える人たちがいます。
本当でしょうか。
ここでいったん、教派の教えや神学を脇に置いて、聖書を確認してみましょう。
そもそも、聖書は、救いはいつ起こると教えているでしょうか。
救いはいつ起こるのか
一部だけを紹介しましたが、最後まで耐え忍んだ者が救われる、というのが聖書の教えです。
では、救われたとは?
確かに、パウロ書簡の一部には、救いが過去形で書かれている箇所があります。
なぜ過去形なのでしょうか。
それは、私たちの状態が、御子との婚約や、接ぎ木に例えられるからです。
私たちはすでに婚約状態にあり、接ぎ木されています。永遠の命を生き始めているのです。
パウロはこれを「救われた」と書いているのです。
この道を従順に歩み続けるなら、私たちはやがて実を結び、婚宴に至ります。
しかし、その救いは確定しているのでしょうか。
救いは確定しているのか
聖書は次のように教えています。
聖書は、救いの確定を教えてはいません。
救いが確定していると教えるのは、一部の牧師や神学者たちだけです。
それは明らかに聖書の教えと違います。
この間違った教えのために、多くのクリスチャンが眠らされているのです。
本物のクリスチャン
本物のクリスチャンは、聖書に書かれたとおり、恐れおののいて自分の救いの達成に努めています(ピリピ2:12)。
怒りや妬みを持つ人は神の国を相続できない(ガラテヤ5:20)という聖書の言葉を、彼らは忠実に受け取り、そこから抜け出そうと、熱心に悔い改め、癒やしを求めているのです。
主を愛するあまり、そうせずにはいられないのです。
これこそが、本当に主を愛し、信仰を持つ人の姿です。
私たちも、これを見習わねばなりません。
このような人だけが、実を結ぶに至ると聖書は教えています。
おわりに
どんなに優れた医者であっても、患者のほうが言うことを聞かないなら、その人を救えません。
救いの確定を教える神学は、甘美ではあっても、危険なものです。永遠の命について、正しく教えていないからです。
御言葉を聞いたなら、正しい良い心で、しっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶ人になりましょう。
幼子のように、御言葉を受け取れたでしょうか。
今、人の教えを捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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