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愛と戒めとキリストの関係

はじめに

聖書は、三つの大切なことを教えてくれます。

それは、と、戒めと、唯一の神についてです。

この三つは、どのように関係しているのでしょうか。

ご一緒に聖書から調べてみましょう。

神は愛なり

であると聖書は教えます。

ヨハネの手紙 第一
4:16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。

これは当たり前のこととして感謝もなく受け入れられていますが、よく考えてみたらどうでしょう。
神が愛でなければいけないというルールはどこにもないのです。

もし私たちの創造主が悪魔だったらどうでしょう。私たちを地獄の火で永遠に苦しめることを願う者が、私たちの創造主であったなら──

そうだったかもしれないと思うと、ぞっとしますよね。

感謝なことに、私たちの創造主は悪魔とは正反対のお方です。

テモテへの手紙 第一
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。

この世界の創造主は、すべての人を愛しています。
これは驚くべきことであり、どれだけ感謝しても、感謝しきれないほどの恵みではないでしょうか。

戒めは愛なり

戒めであると聖書は教えます。

ヨハネの手紙 第二
1:6 父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。

神の戒めどおりに歩むことが、なのです。

これはイエス様の歩みそのものでした。

ヨハネの福音書
15:10 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである

十戒じっかいは、神を愛する方法と、隣人を愛する方法を教えてくれるものです。それを守ることこそ、聖書の教えるなのです。

ヨハネの手紙 第一
5:2 神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。
5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。

ここで再び考えてみてください。
戒めは愛なり。このことに感謝を覚えたことはあるでしょうか。

もしも、私たちの守るべき戒めが、愛でなかったらどうでしょう。憎しみ、混乱、非道、暴力を教えるものだったらどうでしょう。

その場合、殺されるべきは、ノアであり、ロトだったのです。人類は、洪水前の悪人たち、また、ソドムやゴモラの子孫となっていたでしょう。
それがどれほど恐ろしく、住みにくい世界であるか、想像できるでしょうか。

感謝なことに、神の戒めは愛そのものです。
これがどれほどの恵みであるか、いつも心に留めておきましょう。

言葉は神なり

言葉は神だと教えられています。

ヨハネの福音書
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった

神に従うとは、その言葉に従うことです。
だからこそ、聖書は次のように命じているのです。

申命記
13:4 あなたがたの神、主に従って歩み、彼を恐れ、その戒めを守り、その言葉に聞き従い、彼に仕え、彼につき従わなければならない。

これは基本中の基本であり、
これこそが、私たちの生きる道です。

マタイの福音書
4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

そして私たちを生かすパンとは、イエス・キリストなのだと教えられています。

ヨハネの福音書
6:35 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

このように、イエス・キリスト言葉そのものです。
その言葉を信じ、従うことによって、私たちは生きるようにできているのです。

すべては愛

キリストであり、戒めです。
また、言葉であり、その言葉とはキリストなのです。
と、戒めと、キリスト。これらはすべて同一であるということです。

だからこそ、次のように教えられているのです。

ヨハネの手紙 第一
3:23 その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。
3:24 神の戒めを守る人は、神におり、神もまたその人にいます──

私たちが戒めを守ることで、イエス・キリストを知っていることがわかるのです。

ヨハネの手紙 第一
2:3 もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。

反対に、戒めを守らない人にせクリスチャンであり、真理はその人のうちにないと聖書は教えます。

ヨハネの手紙 第一
2:4 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない

唯一の神イエス・キリストの言葉を守る人だけが、神の愛を全うし、その方のうちにいると認められるのです。

ヨハネの手紙 第一
2:5 しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。

これが聖書の教えであることを覚えてください。

おわりに

愛と戒めとキリストの関係をおわかりいただけたでしょうか。

戒めキリスト。これらは同一であり、これにつながる人だけが、神に属する者だと聖書は教えているのです。

それなのに、現代の教会は「神の戒め」を軽視する傾向にあります。それがどういうことか、考えてみたことはあるでしょうか。
それはを軽視することであり、唯一の神イエス・キリストを軽視することなのです。

人の教えしか聞いてこなかった方は、今日、聖書の言葉を確認してみてください。
今は「聖書検索アプリ」などの便利なツールもあります。
それらを使って「神の戒め」と検索してみてください。
弟子たちがこれをどれほど重視していたかがわかるでしょう。

現代、神の法に服する人はほとんどいなくなり、「信じるだけで救われる」という教えがはびこっています。
これは預言されていたことでした。

マタイの福音書
24:12 また不法がはびこるので、多くの人のが冷えるであろう。

このとおり、人々の愛は冷え切っています。

どうか目を覚ましてください。謙遜になるのは今です。
私たちはプライドを捨てて、長年の間違いを認める必要があります。

ペテロの手紙 第二
2:21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
2:22 ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。

もう、泥の中を転がっている場合ではありません。
間もなくしゅが来られます。

今のうちに神の言葉を受け入れてください。
神に立ち返らない人を、しゅが勝手に治療することはないからです。

幼子のようになって、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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