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神の宮とは

はじめに

神の宮とは何でしょう。
ギリシャ語で「ナオス」
日本語では「神殿」「聖所」「宮」などと訳されています。

これが何であるかを知ることは、クリスチャンにとって非常に重要なことです。
この理解がなくては、けっして神の民になることはできないからです。

ご一緒に、聖書から確認してみましょう。

神が住まわれる場所

「ナオス」とは、神が住まわれる場所のことです。

イエス様は、聖霊が住まわれるご自身の体を、ナオスと呼んでいました。

ヨハネの福音書
2:21 イエスは自分のからだである神殿(ナオス)のことを言われたのである。

イエス様だけではありません。
神の霊を受けた私たちもまた、ナオスなのです。

コリント人への手紙 第一
3:16 あなたがたは神の宮(ナオス)であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
3:17 もし人が、神の宮(ナオス)を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮(ナオス)は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。

コリント人への手紙 第一
6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮(ナオス)であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

あなたが真のクリスチャンなら、あなたの体は、もはやあなたのものではありません。それは聖霊のものです。

この宮を破壊するなら、その人は滅ぼされると書いてあることも忘れてはいけません。
(入れ墨やピアス穴を開ける方は、それがどういうことか、よく考えてみましょう。体をけがす人も同様です)

教会

一人ひとりが「ナオス」であると同時に、その集合体である教会もまた、「ナオス」であると教えられています。

エペソ人への手紙
2:20 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。
2:21 このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮(ナオス)に成長し、
2:22 そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。

「ナオス」とは、私たちのであると同時に、教会です。

ところが、これを無視して、大変な思い違いをしている人たちがいます。

第三神殿

次のような箇所から、未来に第三神殿が建つはずだと考える人たちがいます。

マタイの福音書
24:15 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、

テサロニケ人への手紙 第二
2:3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
2:4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮(ナオス)に座して、自分は神だと宣言する。

これらは、建物のことを指しているのでしょうか。

いいえ
パウロは次のように宣言しています。

使徒の働き
17:24 この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮(ナオス)などにはお住みにならない

今後、どのような建物が立とうとも、そこに神はお住みになりません
神のいない建物を、聖書が「神の宮」と預言することはないのです。

神の宮に座すとは

「荒らす憎むべき者」が立つのは、建物ではなく、教会です。
不法の者が、教会に君臨すると預言されているのです。

ヨハネの黙示録
11:1 それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所(ナオス)と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。
11:2 聖所(ナオス)の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。

この預言は、すでに実現しています。不法の者は、すでに教会を踏みにじっているのです。

不法とは何でしょう。
それは、神の律法である十戒じっかいを守らないことです。

現在、安息日を含めて十戒じっかいを守る人はほとんどいません。
それどころか、十戒じっかいは終わった」と教える教師たちまで現れました。

このような教会の姿を、聖書は「大淫婦バビロン」と呼んでいるのです。
今は、一刻も早くそこから離れ去る時期です。

ヨハネの黙示録
18:4 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。

神の民となるには

私たちが神の民となるには、まず神の宮とならなければいけません。
神の霊がその宮を出入りする必要があるのです。

コリント人への手紙 第二
6:16 神の宮(ナオス)と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮(ナオス)である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。

幕屋や神殿が教えていたのは、このことです。
そして神の宮にとって何よりも重要なのが、十戒じっかいの存在です。

ヘブル人への手紙
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法(十戒じっかい)を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう

十戒じっかいが納められていないなら、神の宮ではありません

十戒じっかい一つでも拒絶するなら、けっして神の民になることはできないのです。安息日を守らない人も同様です。

おわりに

神の宮とは何か、おわかりいただけたでしょうか。

それは、十戒じっかいが心に納められ、神の霊が出入りするようになった、真のクリスチャンのことなのです。

そうなっていない人を、聖書は「外の庭にいる異邦人」と表現しています。

あなたは神の民となっているでしょうか。

不法の者は、すでに神の宮に座しています。
四十二か月(三年半)という数字で象徴された期間は、いつ終わりを迎えてもおかしくはありません。しゅの再臨は迫っているのです。

目を覚ましてください。
第三神殿というサタンの作り出した幻想に、だまされている場合ではありません。聖書は、そんなものをけっして神の宮と呼ぶことはないのです。

それよりも、自分が神の宮となることを理解し、この建設を進めなければなりません。これに取り組む人を、しゅ神の民祭司と呼んでくださるのです。

偽りの神学を捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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