神の宮とは
はじめに
神の宮とは何でしょう。
ギリシャ語で「ナオス」。
日本語では「神殿」「聖所」「宮」などと訳されています。
これが何であるかを知ることは、クリスチャンにとって非常に重要なことです。
この理解がなくては、けっして神の民になることはできないからです。
ご一緒に、聖書から確認してみましょう。
神が住まわれる場所
「ナオス」とは、神が住まわれる場所のことです。
イエス様は、聖霊が住まわれるご自身の体を、ナオスと呼んでいました。
イエス様だけではありません。
神の霊を受けた私たちもまた、ナオスなのです。
あなたが真のクリスチャンなら、あなたの体は、もはやあなたのものではありません。それは聖霊のものです。
この宮を破壊するなら、その人は滅ぼされると書いてあることも忘れてはいけません。
(入れ墨やピアス穴を開ける方は、それがどういうことか、よく考えてみましょう。体を汚す人も同様です)
教会
一人ひとりが「ナオス」であると同時に、その集合体である教会もまた、「ナオス」であると教えられています。
「ナオス」とは、私たちの体であると同時に、教会です。
ところが、これを無視して、大変な思い違いをしている人たちがいます。
第三神殿
次のような箇所から、未来に第三神殿が建つはずだと考える人たちがいます。
これらは、建物のことを指しているのでしょうか。
いいえ。
パウロは次のように宣言しています。
今後、どのような建物が立とうとも、そこに神はお住みになりません。
神のいない建物を、聖書が「神の宮」と預言することはないのです。
神の宮に座すとは
「荒らす憎むべき者」が立つのは、建物ではなく、教会です。
不法の者が、教会に君臨すると預言されているのです。
この預言は、すでに実現しています。不法の者は、すでに教会を踏みにじっているのです。
不法とは何でしょう。
それは、神の律法である十戒を守らないことです。
現在、安息日を含めて十戒を守る人はほとんどいません。
それどころか、「十戒は終わった」と教える教師たちまで現れました。
このような教会の姿を、聖書は「大淫婦バビロン」と呼んでいるのです。
今は、一刻も早くそこから離れ去る時期です。
神の民となるには
私たちが神の民となるには、まず神の宮とならなければいけません。
神の霊がその宮を出入りする必要があるのです。
幕屋や神殿が教えていたのは、このことです。
そして神の宮にとって何よりも重要なのが、十戒の存在です。
十戒が納められていないなら、神の宮ではありません。
十戒を一つでも拒絶するなら、けっして神の民になることはできないのです。安息日を守らない人も同様です。
おわりに
神の宮とは何か、おわかりいただけたでしょうか。
それは、十戒が心に納められ、神の霊が出入りするようになった、真のクリスチャンのことなのです。
そうなっていない人を、聖書は「外の庭にいる異邦人」と表現しています。
あなたは神の民となっているでしょうか。
不法の者は、すでに神の宮に座しています。
四十二か月(三年半)という数字で象徴された期間は、いつ終わりを迎えてもおかしくはありません。主の再臨は迫っているのです。
目を覚ましてください。
第三神殿というサタンの作り出した幻想に、騙されている場合ではありません。聖書は、そんなものをけっして神の宮と呼ぶことはないのです。
それよりも、自分が神の宮となることを理解し、この建設を進めなければなりません。これに取り組む人を、主は神の民、祭司と呼んでくださるのです。
偽りの神学を捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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