真理に歩むとは
はじめに
「真理」という言葉は、私たち日本人にとって「本当のこと」という程度の意味しかありません。
それで、「真理」を知っていれば、真理に属している気になるのです。
けれど、ユダヤ人にとっては違います。
彼らにとって「真理」とは、歩むものなのです。また、従うものであり、行うものなのです。
私たちもこの認識を持たなければ、けっして真理を受け取ることはできません。
ご一緒に聖書から確認してみましょう。
真理とは何か
異邦人である私たちは、ピラトと同じ質問をするでしょう。
「真理とは何か」
聖書にはこうあります。
ユダヤ人にとって真理とは、神の言葉のすべてでした。
そんな彼らに向かって、イエス様は驚くべき発言をされたのです。
なんと、ご自身こそが真理であり、神のもとへ行く道であると告げられたのです。
神の言葉のすべて、それが人として来られたのです。
このことを信じますか?
この方に属し、この方の道を歩み、この方に従い、この方の教えを聞いて行う者でなければ、神のもとへ行くことはできないのです。
真理とは、知るものではなく、歩むものだからです。
戒めを守らないなら、真理はない
戒めを守らないなら、真理はその人のうちにありません。キリストに属さないということです。
戒めとは何でしょう。
戒めとは、イエス・キリストの御名を信じ、互いに愛し合うことです。
御名を信じるとは、この方にはすべてを捨てて従う価値があると信じ、全力でこの方を愛することです。
互いに愛し合うとは、自分自身のように、隣人を愛することです。
これは十戒を守ることによって実践されます。
神のほかに神があってはならない。
偶像を造ってはならない。
神の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を聖とせよ。
父と母を敬え。
殺人をしてはならない。
姦淫をしてはならない。
盗んではならない。
偽証してはならない。
隣人のものをむさぼってはならない。
これが、神を愛する方法と、人を愛する方法を、私たちに教えるものです。
安息日を汚しながら神を愛することはできませんし、偽証しながら人を愛することはできません。そのような人は偽り者なのです。
真理の道がそしりを受ける
偽教師が現れ、大勢の人々が彼らの放縦を見習い、真理の道がそしりを受けるとあります。
つまり、間違いを教える教師が現れて、多くのクリスチャンを偽りの自由に引き入れ、戒めを守る道がそしりを受けるようになるというのです。
もうお気づきかと思いますが、この預言は成就しています。
「十戒を守りましょう、安息日を守りましょう」と呼びかけるなら、たちまち「律法主義者だ!」「救いは恵みによるのだ!」と噛みつかれてしまう時代です。
彼らは自分たちを贖ってくださった主さえも否定して、速やかな滅亡を自分の身に招いているのです。
主は、何と言われたでしょうか。
おわりに
聖書の語る「真理」とは、知るものではなく、歩むものなのです。
真理そのものであるイエス・キリストに聞き従い、従順に歩むことが、救いの達成につながるのです(ピリピ2:12)。
いえ、そもそも、そうせずにはいられない人が、クリスチャンではないでしょうか。
キリストに背くクリスチャンとは、一体何者なのでしょう。
偽教師の放縦に見習ってはいけません。これは聖書が警告していることです。
しっかりと目を覚まし、真理に歩みましょう。
そのためには、偽りの神学を捨て、聖書に立ち返る必要があります。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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