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「行い」に関する聖書の教え
はじめに
人が義とされるのは、律法の行いによるのではないと聖書は教えます。
ローマ人への手紙
3:28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
そのとおり、私たちが義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのです。
とはいえ、「行いに関する教えなど聖書にない」と言える人がいるでしょうか。
今日、それらの聖句を、一度じっくり見てみませんか。
もしかしたら、何か大切な発見をすることになるかもしれません。
行いに関する聖書の教え
ルカの福音書
6:46 わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。
マタイの福音書
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
ルカの福音書
6:49 しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」。
ヤコブの手紙
1:23 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。
マタイの福音書
10:38 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
ヨハネの福音書
8:47 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。
ヨハネの福音書
3:36 御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。
使徒の働き
3:23 彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。
ヤコブの手紙
4:17 人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。
ヨハネの手紙 第一
3:10 神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。
テトスへの手紙
1:16 彼らは神を知っていると、口では言うが、行いではそれを否定している。彼らは忌まわしい者、また不従順な者であって、いっさいの良いわざに関しては、失格者である。
ヤコブの手紙
2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
ペテロの手紙 第一
1:17 また、あなたがたは、人をそれぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、父と呼んでいるのですから、この地上に寄留する間、畏れをもって生活しなさい。
ローマ人への手紙
2:6 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
2:7 耐え忍んで善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠の命をお与えになり、
2:8 利己心に駆られ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りを下されます。
ヨハネの福音書
5:29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。
「このとおり、人が救われるのに、行いは一切影響しません」
と私が言ったら、信じますか?
もちろん、信じてはいけません。
行いがないなら死んでいる
ヤコブの手紙
2:26 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。
行いがないなら、その信仰は死んでいるのです。
このことを、どうか嘲笑わないでください。
「救い」が神の一方的な恵みによるものであり、価なしに与えられることは分かっています。
しかし、「行い」がないなら、その人は死んでいると聖書は教えているのです。
ヨハネの黙示録
3:1 サルディスにある教会の天使に、こう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星を持つ方が、こう言われる。「私はあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。
現代教会の深刻な病気
今、多くの教会が深刻な病気にかかっているのではないでしょうか。
それは、行いを軽視し、恵みを放縦に変えてしまう病気です。
ユダの手紙
1:4 そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。
この病気から立ち直らないなら、大変なことになります。
ヨハネの黙示録
2:22 見よ、私は彼女を病の床に伏させよう。彼女と共に姦淫を行っている者たちも、その行いを悔い改めないなら、大きな苦難に遭わせよう。
2:23 また、この女の子どもたちも打ち殺そう。こうして、すべての教会は、私が人の思いや心を見通す者であることを悟るようになる。私は、あなたがたの行いに応じて一人一人に報いよう。
「人は義人にはなれない」
「赦してもらうしかない」
そう教えられ、行いをなくしたクリスチャンが大勢います。
それなら今日、聖書の言葉に目を向けてみましょう。
聖書は本当の希望について教えてくれます。
ローマ人への手紙
6:17 しかし、神に感謝すべきことに、あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から聞き従って、
6:18 罪から自由にされ、義の奴隷となったのです。
このとおり、神の教えに心から聞き従った人々は、罪から自由にされ、義の奴隷となっています。
このことを信じましょう。
そして信じたなら、悔い改めて、義を行ってみましょう。きっとできるはずです。
ヨハネの黙示録
2:5 それゆえ、あなたがどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。悔い改めないなら、私はあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
悔い改めず、初めの行いをしないなら、明かりは取り除けられてしまいます。
けれど、初めの行いに帰るなら、あなたは世の光として輝くのです。
帰りましょう。
父の御心を行う者を、父は喜んで迎えてくださるからです。
おわりに
聖書には「行い」に関する教えがたくさん書かれています。
今日、そのことに気づくことはできたでしょうか。
それらの教えは、思っていたよりも重要なことではなかったでしょうか。
現代の教会は、これらの聖句を、ずっと人々の目から隠してきたのかもしれません。
けれど、勇気を出して目を向けるなら、そこには本当の恵みが見えるはずです。
そうです。私たちの悪い行いは滅ぼされ、私たちは義を行う者に変えられるのです。
ヨハネの手紙 第一
3:7 子どもたちよ、誰にも惑わされないようにしなさい。義を行う者は、御子が正しいように正しい人です。
3:8 罪を犯す者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔の働きを滅ぼすためです。
これこそ、本当の恵みです。
「行い」を毛嫌いさせる教えは、サタンから来るものです。
そんな嘘に、もう騙されてはいけません。
聖書の言葉に目を向けて、この恵みを受け取りましょう。
信じて受け取るなら、あなたは義を行う者になれるのです。
このブログを信じる必要はありません。
どんな人の教えにも、間違いが入り込んでいる可能性があるからです。
ただ聖書を読み、聖書の御言葉を信じましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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