はじめに
どんな人であっても、恵みにより、信仰によって救われます。
これは聖書を見れば明らかであり、否定の余地はありません。
「では、従わない人も救われるの?」そんな疑問を持つ方もおられるかもしれません。
これはとても大切なことですから、聖書からきちんと確認してみましょう。
アブラハムの信仰
信仰と一概に言っても、様々な信仰があります。
世の宗教を見れば、たくさんの間違った信仰が存在することがわかります。
聖書は、アブラハムの信仰に倣う人に、救いが保証されると教えています。
アブラハムは私たちの信仰の父祖であり、その子孫とは私たちです。
義と認められ、神の子とされるのは、アブラハムの信仰に倣う人だけです。
では、約束を保証するアブラハムの信仰とは、一体どのようなものでしょうか。
それは、「何もかも捨てて従う信仰」です。
何もかも捨てて従う信仰
主がアブラハムに声をかけられたとき、アブラハムは行き先さえわからないまま、従いました。
「主に従うことが自分にとって一番である」と信じたのです。
アブラハムの試練
試練のとき、アブラハムは何もかも捨てて従う信仰があることを証明しました。
この試練は、私たちにもやって来ます。
私たちも立ち去るでしょうか。
そうであってはいけません。
私たちが信仰を捨てないようにするには、「主に従うことが自分にとって一番である」と言えるようになっておく必要があるのです。
何もかも捨てて従う
ある人は「これはひどい話だ」と思われるかもしれません。
かつての私も、そう思っていました。
騙されていたからです。
けれど、もう騙されません。
何もかも捨てて主に従うことは、人に最高の喜びをもたらします。
私はすでにこの喜びを知っています。
あなたはどうですか?
誰もが、この喜びに招かれているのです。
あなたは、主に従うことが自分にとって一番であると信じますか?
信じる者になりましょう。
おわりに
従わない人も救われるのか。
その答えは、じつははっきりと聖書に書いてあります。
私たちの救いを保証する信仰は、アブラハムと同じ信仰、何もかも捨てて従う信仰だけなのです。
この信仰は、私たちがあらかじめ持っていたものではなく、神からの恵みです。
何もかも捨てて従う信仰をまだ受け取っていない人は、十字架を見上げ、主の支払ってくださった代価を思い出してください。
最高の愛が、私たちに注がれたのです。
その死を、私たちはむだにしてはいないでしょうか。
私たちが新しい生き方をするために、主は死んでくださったのです。
「従わない人も救われる」という教えは、偽の教えであって、聖書の教えではありません。主流派の教えだからといって、聖書どおりとは限りません。
これに騙されるなら、私たちは命を失うでしょう。
あなたは、自分のために生きることをやめ、永遠の命を生きていますか?
偽りの教えを捨て、聖書から本当の喜びを取り戻しましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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