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聖書を正しく読む方法

はじめに

聖書は、世界で最も読まれている本です。

ところがその内容については、人々が好き勝手に解釈しているのが現状です。

一体、どうしてこうなってしまったのでしょうか。

どうやったら聖書を正しく読めるのでしょう。

これはとても大切なことですので、慎重に確認していきましょう。

自分勝手に解釈してはいけない

私たちが第一に知るべきこととして、聖書は次のように記しています。

ペテロの手紙 第二
1:20 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。
1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。

「預言」とは、未来を言い当てる「予言」ではなく、神様から預かった言葉のこと、すなわち聖書のすべての御言葉みことばのことです。

代筆したのは人間ですが、聖書の作者は神です。

テモテへの手紙 第二
3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

これを自分勝手に解釈しないようにと、聖書自身が警告しているのです。

具体的にはどうすればいいのでしょうか。

聖霊の導きに従って読むことです。

私たちは無意識のうちに、牧師教理に従って聖書を読んでいます。

これを取り払い、聖霊の導きだけで聖書を読むのです。

そのためには、聖書を読む前に、祈ることが大切です。
聖書の真理で自分の思いが修正されることを求めてから、読むのです。

そうするなら、私たちの聖書理解は飛躍的に向上します。
パンを求める者に石を与えるようなことをしないお方が、必ずよいものをお与えくださるからです。

信仰の一致、知識の一致

ある人は、「聖書はそれぞれが思うままに読めばよい」と教えます。

しかし聖書によれば、けっして独自の解釈は認められないのです。

エペソ人への手紙
4:13 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。

これは真理を守る上で、とても大切なことです。

各教派の人たちの人格を認めることは大切ですが、異なる教えを認め合うことは間違っています。そのようなことは、聖書自体がすべきではないと教えているのです。

真理への妥協はありえません。真理は一つです。それを私たちは探し求めなければならないのです。

曲解してはいけない

聖書を読む上で、とても重要な注意書きがあります。

ペテロの手紙 第二
3:16 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

パウロ書簡には、理解しにくいところがあり、滅びを招く曲解を引き起こす危険があるというのです。

これは本当です。
現に、ほとんどの教派の違いは、パウロ書簡から来ています。

このことは聖書を読む上で、いつも注意していなければならない点です。

パウロ書簡を曲解すると滅びを招く

聖書全体の調和をもって読む

聖書の一部だけを切り取るなら、とんでもない解釈ができてしまいます。

間違いを避けるには、聖書全体の調和をもって読む必要があります。

イザヤ書
34:16 あなたがたは主の書をつまびらかにたずねて、これを読め。これらのものは一つも欠けることなく、また一つもその連れ合いを欠くものはない。これは主の口がこれを命じ、その霊が彼らを集められたからである。

このように、聖書の教えは、ほかの箇所でも必ず同じ教えが語られていることが保証されています。

幼子のように素直に読む

「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」という箇所を読んだとき、あなたの心はどう反応していますか?

「いや、行いは不要だと聞いている」とか、「信じるだけでいいはずだ」と言い続けるなら、いつまでも真理にたどり着くことはありません。

素直に読むという、たったそれだけのことが、何かの教理によって妨げられてはいないでしょうか?

党派心を捨てて、幼子のように読んでみましょう。
「命がけで従う者でなければ、イエス様にふさわしくない」そう読んでいいのです。
これこそが、真理の回復につながる読み方です。

聖書の言葉に、いつも「はい」と答える準備をして読みましょう。

今も昔も、「神学を知っている」という人ほど、聖書を読めなくなっていることを覚えてください。

マタイの福音書
11:25 そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました

教派の教えを手放す

十戒じっかいは廃された」と教える教会の信者は、十戒じっかいを守りません。

反対に、十戒じっかいを守りなさい」と教える教会の信者は、十戒じっかいを守ります。

当たり前のように感じるかもしれませんが、これはとても異常なことです!

なぜなら、人々が、神に従っているのではなく、人間に従っているからです。

マタイの福音書
15:8 『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
15:9 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。

羊飼いの声を聞き分ける羊だけが、正しい門にたどり着くのです。

そのためには、教派の教えを投げ捨ててでも、聖書に従わねばなりません。

使徒の働き
17:11 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた
17:12 そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。

今一度、自分が教派に従ってはいないか、信仰を探ってみてください。

これをしなかったために、パリサイ派やサドカイ派の人々は、自分たちの救世主を殺してしまったのです。

おわりに

今回、このような記事を書いたのは、聖書が次のように預言しているからです。

テモテへの手紙 第二
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう

目を覚ましてください。
もう、この預言は成就しており、今やほとんどの教会で真理が語られていません。

マタイの福音書
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

あなたの教会では、どちらの教えがなされているでしょうか。

素直に聖書を読むなら、戒めが守られるべきこと、安息日が守られるべきこと、すべてを捨ててしゅに従うべきことが、はっきりとわかるはずです。

救いは、あなたと神様との一対一の関係です。
けっして第三者を通したものではありません。

あなたは今でもイエス様を愛していますか?
何を投げ出してでも、ついて行く覚悟がありますか?

それなら、今日、偽りの神学を捨てて、幼子のように聖書を読み始めてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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