新約とは
はじめに
「旧約」「新約」とは何でしょう。
それは契約です。
聖書は、「古い契約」と「新しい契約」について教えてくれます。
私たちは誰でも、神と契約を結ぶことができるのです。
その契約の内容とは、一体どんなものでしょうか。
誤解を生んできた教え
まずは、一般的に教えられている解釈を見てみましょう。
あながち間違いではありませんが、これは大変な誤解を生みます。
それは、「新しい契約に入った人は、律法を守らなくてよくなる」という誤解です。
断じてそうではない、と聖書は教えます。
まず知ってほしいのは、新しい契約は、私たちが律法を確立する方法であるという点です。すべての信仰者は、これを正しく理解する必要があります。
神と人との契約
契約とは何でしょう。
それは十戒であると書かれています。私たちが確立すべき律法はこれです。
殺人や姦淫を罪とするこの律法は、石の板に書かれる前からずっと守られていました。
神と人との契約は、この十戒を通してなされるのです。
この契約を守る人は、神の民と呼ばれます。
古い契約
古い契約とは何でしょう。
古い契約とは、定めと掟を守って命を得るというものでした。
これは、人の力で救いを得る方法です。
神の民が滅びそうになる
人の力で救いを得る。そんなことが可能なのでしょうか。
いいえ。それは不可能な方法だったのです。
そのため、神の民はついに一人もいなくなってしまいました。
民の指導者たちは、律法を完璧に守ろうとするあまり、心の中の罪を問うことをやめ、外面的に律法を守りさえすればよいと考えるようになっていたのです。
けれども、律法の精神は愛です。心の中で殺意を抱く人に、愛はありません。
そのような人が神の民とみなされることはないのです。
新しい契約
古い契約は、救い主の必要性を人々に悟らせるためのものでした。
そして律法を行う者が一人もいなくなったとき、ついにメシアが現れたのです。
これは預言されていたことでした。
新しい契約とは、私たちの中に十戒が納められ、神の宮となり、そこに神の霊が住まわれるというものです。
この契約のおかげで、私たちは再び神の民となれるのです。
新しい契約は、神の力によって救いを得る方法です。
すなわち、聖霊が私たちの心に十戒を書き付け、それを行うように導いてくださるのです。
おわりに
新約とは何か、おわかりいただけたでしょうか。
新約とは、心に律法が書き付けられることです。
こうして、罪を犯すことよりも、律法を守ることのほうが簡単になるのです。
もうお気づきかもしれませんが、多くのクリスチャンがこの契約に入っていません。
間違った教えのせいで、律法を嫌いにさせられており、守れるようになることを信じてもいないからです。
けれど信じるなら、誰でもこの契約に入れます。
新しい契約に入っているかどうかは、簡単に確認できます。
罪が嫌いで、神の律法を守りたくてしょうがない心になっているかどうかです。
イエス様の尊い犠牲が、私たちをそのように変えるのです。
十戒を守っていなかったり、天国へ行くためにと苦しんで守ろうとしていたなら、新しい契約に入っていません。
新しい契約を別の視点で見るなら、それは神の支配に入ることです。
この契約に入るには、条件があります。
この契約に与る条件は、不信心であることを認めることです。また、そのような自分であっても義とされるのだと信じることです。
信じましょう。
間違った教えは、私たちを新約から遠ざけます。
まずは聖書から真理を回復してください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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