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奇跡の正体

はじめに

人は奇跡を見せられると、それを本物だと思ってしまう性質があります。

「願ったら与えられた」「病気が癒やされた」「異言が出てくるようになった」そんな話を聞くと、私たちはつい疑いもせずに、神が働かれたのだと思ってしまうのです。

しかし考えてみてください。狡猾なサタンは、当然、その性質を利用して、私たちをだまそうとしてくるはずです。

なぜなら、サタンにも奇跡を起こすことは可能だからです。

そのことについて、すでに聖書は警告しています。

マルコの福音書
13:22 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。

注意してください。もうすでに、多くのクリスチャンがだまされていることがあります。

神の奇跡と、悪霊の奇跡

奇跡には、神によるものと、悪霊によるものがあります。

テサロニケ人への手紙 第二
2:9 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
2:10 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

真理に対する愛が試されているのです。

「彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである」

真理に至らなければ、けっして救われません。もし、真理をなおざりにして、奇跡を信じるなら、私たちは簡単に滅びてしまうのです。

マリア像が涙を流したとか、パンが口の中で肉に変わったとか、そのようなものを少しでも信仰の基盤とするなら、私たちは簡単に滅ぼされてしまいます。
なぜなら、悪魔でさえ、にせの奇跡を起こせるからです

黙示録の警告

黙示録には具体的なにせの奇跡について警告されています。

ヨハネの黙示録
13:13 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。

この奇跡が何であるか断言することはできませんが、黙示(暗黙のうちに示すこと)として捉えるなら可能性が見えてきます。

天から降る火、それがキーワードです。

天から降る火

使徒の働き
2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

かつて使徒たちの時代、全世界に福音がべ伝えられるようにと、弟子たちに聖霊が注がれて、外国語を話せるようになるという奇跡が起きました。

黙示録で語られる「天から降る火」は、この奇跡を模したにせを指している可能性があります。

というのも実際、このようなことが現代の教会で行われているからです。

異言

多くの教会で、聖霊を受けたら異言を語れるようになるのだと教えています。

ところがその異言は、理解不能な音で構成されています。

注意してください。これは聖書の教える異言とは違います

聖書の教える異言は外国語であって、外国人に意味が通じるものとされています。また、通訳者がいなければ語らないようにとも書かれています。

当時と違って、今は奇跡的に外国語が話せるようにならなくても、異邦人伝道が可能な時代です。ゆえに、急に外国語が話せるようになる人はいません。

ましてや、誰にも意味の分からない音を出し続けて、何の意味があるのでしょうか。
それは怖いことです。

一度冷静になって、それが悪霊によるものかもしれないと考えてみてください。それは心霊術かもしれません。自分の分からない言葉を語ることは大変危険です。悪霊があなたの口を通して、悪魔を拝ませているのかもしれません。

奇跡を見たら

ヨハネの黙示録
16:14 これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。

奇妙な言葉を発することが、霊を受けたことのしるしとされています。

今後、悪霊による奇跡は増えてくるでしょう。人を癒やしたり、悪霊が出て行ったように見える奇跡がたくさん起こるでしょう。

それらの奇跡を見たら、怪しんでください

これは不信仰なことではありません

なぜなら、イエス様の時代とは違って、終わりの時には、にせ預言者や、しるしを行う悪霊が出てくるとはっきり警告されているからです。

それらに気をつけるようにと言うのが、聖書の教えなのです。

見ないで信ずる者は、さいわいである(ヨハネ20:29)

どうやって見分けるか

神からのものか、悪霊からのものか、私たちはどうやってその奇跡を見分ければいいのでしょうか。

ヨハネの手紙には次のように書かれています。

ヨハネの手紙 第一
4:6 しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。

「神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない」とあります。

つまり、ヨハネの手紙に書かれたことに同意しているかどうかで見分けることができるのです。

ヨハネの手紙

ヨハネの手紙は宝の宝庫です。ここから多くの真理を回復し、確認することができます。

ヨハネの手紙 第一
2:3 もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。

戒めを守らなくていいと教えるなら、それは惑わしの霊です。
また、互いに愛し合えばそれでいいと教える場合も同様です。

なぜなら、「最も小さい戒めの一つでも破ったり破るように教えてはいけない」というのがイエス様の教えだからです(マタイ5:19)。

ほかにも、たくさんの真理がこの手紙には書かれています。

ヨハネの手紙 第一
2:15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。

ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

ヨハネの手紙 第一
3:6 すべて彼におる者は、罪を犯さない。すべて罪を犯す者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である。

ヨハネの手紙 第一
3:15 あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない。

これらのことを教えていないなら、それは惑わしの霊です。

  • 世を愛する者のうちには神の愛がない

  • 罪とは律法違反であり、罪を犯す者はキリストを知らない

  • 兄弟を憎む者は永遠の命に入れない

これが健全な教えです。
どんなに奇跡を行っていようと、また、どんなに聴き心地が良かろうと、健全な教えをしていないなら、それは本物ではないのです

おわりに

テモテへの手紙 第二
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

ペテロの手紙 第二
2:2 また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。

今は終わりの時代です。預言されていたとおり、もはやほとんどの教会で真理が教えられていません

代わりに用いられているのが奇跡です。
真理を教えていないなら、それは悪霊による奇跡だと聖書は教えています。

その教えが正しいかどうか、聖書と照らし合わせてみてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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