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よちよちクリスチャンの聖書ノート

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幼子のようなクリスチャンの私が、幼子のような目で聖書から発見した真理をお伝えします。
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#モーセ律法

聖書は本当は何と言っている?

聖書、それは一体誰のものでしょう。 聖書自身が次のように教えています。 世の中にはたくさんの聖書解釈があります。そして、それらは必ずしも一致するものではありません。そんな教派の一つを、自分の信じるものとして採用してしまってもいいものでしょうか。イエス様の時代、パリサイ派とサドカイ派、どちらが正しかったでしょう。 残念ながら、どちらも間違っていました。 人々が真理に立つには、主流派の神学から脱出する以外になかったのです。 正しいのは、神の言葉、聖書だけです。つまり、私たち

なぜ律法があるのか

はじめにあなたは律法が好きですか。 クリスチャンであっても、意見が分かれるのではないでしょうか。 律法とは何でしょう。 神様は、どうして律法をお与えになったのでしょうか。 これを正しく知らなければ、真のクリスチャンとはいえません。 今、ご一緒に聖書から確認してみましょう。 律法がなければ罪がない?多くのクリスチャンが、勘違いしていることがあります。 それは、「律法がなければ罪はない」とか、「律法が罪を制定した」という認識です。 そうではありません。 先にあったのは

なぜ十戒が大切なのか

はじめに律法にはいくつかの種類があります。キリストを予表するもの、違反を指し示すもの、民を異邦人から隔てるもの── その中でも、特別な律法があります。ただそれだけが石の板に書かれ、契約の箱に入れられ、聖所に運び込まれました。 そう、十戒です。 なぜ十戒は特別扱いされるのでしょうか。 そこには、私たちが絶対に知っておかなければならない事実があるのです。 十戒とは何かその文面は、出エジプト記20章や、申命記5章に書かれています。 これが十戒です。 要約すると、次のよ

来たるべきものの影

はじめに聖書は、ある律法のことを「来たるべきものの影」と呼んでいます。 とはいえ、殺すな、姦淫するな、などの教えを、「来たるべきものの影」と考えるクリスチャンはいないと思います。 では一体何が、「来たるべきものの影」なのでしょうか。 このことについて、私たちは正確に理解する必要があります。 来たるべきものの影聖書は、どの律法を「影」と呼んでいるのでしょうか。 結論から言うと、モーセ律法の儀式を、キリストの影と呼んでいるのです。 このとおり、モーセ律法のささげ物は影

律法とは何か、聖書の読み方

はじめに同じ聖書を読んでいても、世の中には正反対の聖書解釈をする人同士が溢れています。 これは本当に不思議なことです。 その中で、私には気づいたことがあります。 それは、読みたいように読むなら、いくらでもその意見を擁護するような聖句を探し出せてしまうということです。 実際、人々は自分の信じる説を擁護する聖句を、聖書のあらゆる箇所から探し出してきます。 かく言う私も、自分の意見を擁護したくて、そのような聖句を一生懸命探したことがありました。そして実際、それはたくさん出てく

「モーセの十戒」なんてありません

はじめにクリスチャンであってもなくても、「モーセの十戒」という言葉を、一度は聞いたことがあるかと思います。 ところが、聖書にそんな言葉は出て来ません。 これは人間の作った言葉なのです。 では、聖書はこれを何と呼んでいるのでしょうか。 ご一緒に確認してみましょう。 聖書にあるのは「モーセの律法」と「神の戒め」聖書には「モーセの律法」という言葉が何度も出て来ます。 「モーセの」と付くのは、モーセがこれを書いたからです。 一方、十戒には「モーセの」という言葉は絶対に使われ