何もないときにでも誰かのためにできること
何もないと思うのはたぶん勘違い
「誰かに何かしてあげたいけれど、特別お金盛りなわけでもないし、特殊なことができるわけでもないし、どうしたもんかな」と思ったことはありますか?
私は何度もあります。親友の誕生日のときに渡したいものがあってもそれがちょっと手の届かない値段だったり、もっと単純に言えば、すべての友人に贈り物をする余力はありません。
こういう考え方をし始めるとキリがなくて、私には何にも人にあげられるものがないような気持ちになるときもあります。でも、どんなに何も持っていないように感じられたときも、私たちには人に贈れるものがあるみたいです。
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お釈迦さまの教え
これは仏教の教えで、私がこの言葉を知ったのはごく最近のことです。家族のお墓はお寺にあるのですが、親共々あまり熱心ではなかったせいもあってか、この考え方に触れる機会はありませんでした。
無財の七施はその言葉の通り、お金がなくてもできる人への優しい7つの行動のことで、『雑宝蔵経』というお経で解かれているそうです。ずっと昔の教えですが、きっと21世紀でも真似できると思います。
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無財の七施
① 優しい眼差しで接する
誰かに優しい目で見られているのはきっと心地の良いことです。けれども、普段自分がどんなふうに人や物を見つめているかは見当もつきませんし、どのようにすればいいのかってあまり意識的にはわからないことなのかもしれません。
今日たまたま大好きな物を見ていたとき、人に「目がキラキラしてるね」と言われました。目は口程にものを言うという言葉がある通り、優しい気持ちを持っていれば自然とそういう眼差しになるのかなと思っています。
② 笑顔で接する
接客のお仕事をしたことがある人なら、一層わかるかもしれませんが、これが意外と難しいです。笑顔は眼差しよりかはコントロールしやすい気もしますが、その分、心の底からの笑顔は簡単には出てこないと思っています。
③ 思いやりのある言葉で接する
基本的なことになりますが、何よりも大切なのが「ありがとう」と「ごめんなさい」と挨拶だけはきちんと言えるようになることなのかなと思っています。
もちろんもっと色とりどりの思いやりのある言葉を持てることは素晴らしいです。けれども、たくさんありすぎると使いこなせないこともあります。まずは少ない種類の本当に大切な言葉を漏れずに使うところから始めるのが1番だと思います。
④ 体を誰かのために使って何かをする
自分の体からしたら簡単なことでも、すべての人がそう感じるわけではないのはよく考えれば当たり前のことです。荷物を持ってあげるとかも簡単にできることですよね。
あとは体からは少しずれてしまうかもしれませんが、自分の能力的には無理なくできるけれど、他の人には難しいことをやってあげるのも同じことかもしれません。私の場合は、たまに観光地で外国の人とお店の人がコミュニケーションで困っているときに通訳をしたりしています。
⑤ 心を配る
心を配るのはバランスの取り方が難しいなと思います。心配りが上手な人は素敵で尊敬します。けれども配りすぎて手持ちの心がカラカラで軋んでしまったら元も子もありません。
私は自分のことで手いっぱいになる時もあるので、比較的自分に余裕のあるときには多めに心を配ろうと決めています。
⑥ 席や場所を譲る
パッと思いつくのは電車の席を譲ることくらいですが、東京にいるとそもそも席に座れることが少ないので意外と難しいかなと思います。けれど場所を譲るというのはもっと簡単にできるかもしれません。
エレベーターに乗るときに他の人を優先して1つ後のものに乗るだとか、何かを見ているときに自分より背の低い人に前に来てもらうだとか応用がいきそうです。
⑦ 自分の家を宿として提供する
これは信頼関係のある人とでないと難しいかもしれません。けれども、カウチサーフィンという外国の方を無料で家に泊める国際交流サービスの存在が示すように、やろうと思えば見ず知らずの人に対してでもできるのかもしれません。
私はフランス留学時代に友人の家に泊めてもらいながら旅行をしていたこともあったので、いつか自分の家に住むようになったら、適度に人に留まってもらおうと思います。
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おわりに
何かをしたいけど、自分にできることなんて何もないと思ってしまうとき、私はこの7つのことを思い出すようにしています。
お金がなくても、何もなくても、誰にでもできることなのに、呼吸をするように自然にできるかと言われたらできないことばかりです。まずはこのうちの1つだけでも毎日心がけられればと思います。
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