【5月5本目】なぜマスコミはデマや嘘を撒き散らし続けるのか
「事実」の報道ではなく、主張を絡めた「真実」を語るのがマスコミ
先週のテレビ朝日グッドモーニングにおいて、取材で答えた内容とは異なる形で切り貼りされたとして医師が抗議をしました。これに対しテレ朝は謝罪に追い込まれています。
また、先週5月7日の報道ステーションでは「各国のコロナ対策においては女性首相ほど上手く対応できている」と報道されていました。これはおかしいよね。女性をトップに据える国で死者数を抑えているのは台湾の蔡英文くらいだったはずで、欧州諸国は片っ端から大量の死者を出した。
朝日と同じリベラル指向であるジャーナリストの江川紹子氏もこの点を指摘しました。
東スポの記事ってのが面白いねw
人口100万人あたりの死亡数(女性リーダー国)
台湾・0.25人
ニュージーランド・4.16人
アイスランド・27.4人
ノルウェー・40.5人
フィンランド・44.6人
デンマーク・89.7人
ドイツ・85.2人
日本や韓国が5人弱と考えると、女性リーダーだからコロナ対策に成功してるとはいいがたい。というよりむしろ失敗している。
似たような論調をどこかで見たなと思い調べたら、先月のウェブ版Forbesでした。
人口100万人あたりの死者数に一切言及せず、女性的な慈しみの心で危機を突破したという「女性記者」による大変ウェッティーな記事です。
論調も内容も報ステとほぼ同一であり、番組関係者はこの情緒的な記事に感銘を受け、脳へ刻み込まれ、一ヶ月後に垂れ流したのでしょう。
この「デマとまでは言えないが現実と乖離した結論」や「捏造の疑いすらある取材不足」は過去何度も問題になってきました。最も有名なのは朝日新聞の慰安婦報道や、福島第一原発の吉田調書でしょう。珊瑚礁KY事件なんてものもあった。
朝日新聞社のカメラマンは沖縄の海で「KY」と落書きされた珊瑚礁を撮影。朝日新聞はこれを現代日本人の心が貧しいかのように報道した。しかしこの落書きは同社カメラマンによって付けられたものだったんです。地元ダイバーから幾度も「おかしい」と言われても朝日はこれを認めず大炎上。全面降伏に追い込まれました。
捏造の発生するメカニズム
朝日を擁護する気は全く無いけれど、フリーライターの側面も持つ私としてはメカニズムの面で理解できなくはない。
例えばとある雑誌で沖縄の米軍基地削減について書くことになったとしますよ。企画の立ち上げは今日5月12日、締切は5月31日。6月30日発売号で掲載されるとする。
編集部からフリーライターの私へ、米軍関連で記事を書けないかと持ちかけられたので「米軍とパチンコという切り口はどうですか?」と提案。担当者は興味を示したので企画概要を提出する。編集会議で企画は通り、2ページもらうことになった。この時点でテーマ、構成、文字数が決まります。
私は自分の知識内にある「米軍基地内のゴルフコースにあるカジノは日本人でも入れる」「沖スロの歴史と米軍」などを記事化しようと想定しており、裏付けを取るため沖縄へ飛びます。
しかし行ってみると基地のカジノは封鎖され、古い沖スロを打ったことのある軍人にも出会えなかった。さあ大変です。いくらなんでも記憶だけで記事を書いたらボツになります。
この時点で締切まで残り1週間。担当者へ電話して企画変更を申し出るも、たかが2ページのために全体は変えられない、もう中吊り広告を発注してしまったと言われる。もしも原稿を提出できないと紙面に穴を開けるし、二度と仕事をもらえなくなる。
困り果てた私の脳内で悪魔がささやきます。
「捏造しちゃえよ。バレやしないって」
「事実」と「真実」の違いとは
江川紹子氏はフリージャーナリストとしてオウム真理教を徹底的に調査しました。その日数、なんと2,200日。教団に暗殺されかかっても取材を止めなかった。
まさに正しくジャーナリズム、調査報道の鏡でしょう。
でもこれ、期限が無いから一定の結論までたどり着けたわけで、取材に数日(ひどい場合は数時間)しか用意できない雑誌やテレビでは無理よ。
ここに、調査報道とニュースバラエティの乖離が生まれるのですね。
常識的には、取材を重ねて隠された事実を見つけることこそ報道なのに、結論に沿った表面的な事象のみをピックアップする手法が主流となってしまった。ピックアップの基準には当然、本人や会社のイデオロギーが入り込むため、政治的な主張を感じる内容となる。イデオロギーの介在により、ある程度のデマや捏造は許容されてしまう。
江川紹子氏もツイッターでは極めて左寄りですけど、調査報道に徹したオウム関連については徹底的に中立。本来ならお仲間であるリベラル陣営に対しても、オウムを安易に引用すれば一刀両断に指摘します。
■本来の報道とは、取材した「事実」を伝えるものであり中立
■現在の報道は、結論を補完するために選択的に取材するため主張が介在し、主張を伝えたいがために「真実」と称する
【例・「事実」に則した報道】
政府と沖縄県はアメリカ国防総省と覚書を交わし、年内の基地返還へ向けての話し合いが行われることとなった。両社の話し合いは1960年1月の日米安保条約締結以降、初めて。
【例・主張を入れた「真実」】
「私たちの海を返してください!」。基地の島・沖縄の空に消えた少女の叫びが、遂に重い扉をこじ開けた。基地返還・・・地元で30年に渡り反対運動を続けた○○氏は重い口を開き語り始めた。
この差、なんとなく伝わるでしょうか。
徹底した調査報道をできない二つの理由
渡辺恒雄氏らが新聞記者の最前線にいた頃は、徹底した調査報道で事実を掴みつつ、主張を乗せることもあったでしょう。しかしその比率は徐々に狂ってきて、インターネットの隆盛により調査報道の割合は大きく減ってしまった。
調査報道の不足は、取材をする時間と費用の不足という構造上の問題と、記者に染みついてしまった怠惰さにあります。
ネット検索なら自分好みの真実を作りやすいですし、事実の裏付け無しでも「ネットでは○○という意見もある」と添えるだけで、取材した風な記事を一本書けてしまいます。
記者達は主張のおかしさを指摘されると(プライドを傷つけられたと感じるのか)強固に反発しますけど、手を抜かずに取材せよと言えば反論できなくなります。
短い取材期間でも、想定通りの事実を掴めたときの快感は凄まじい。目の前に展開されているのが悲劇そのものであったとしてもです。主張で誤魔化す必要のない「事実」に、記者は酔う。悲しみに暮れながらも心のどこかでガッツポーズをする。
人間性を賭ける、とんでもない射幸性ですよ。
自分を許せなくなったら最後、報道なんて続けられません。だからマスコミには良くも悪くも自己中心的な人間が多いのでしょうね。
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