思いやりは強さだ「忍性」
中井貴一と小泉今日子が主演していた鎌倉を舞台にしたドラマの舞台は
極楽寺駅周辺だった。鎌倉でも不思議が起こる場所なんだなってのが感想。
誰が創建したのか、なぜ重要な場所だったのかは知らなかった。
そこを創建したのは忍性というお坊さんだったらしい。彼が何を成し遂げたのか。その評伝が松尾剛次の「忍性」だ。読んで納得した。
忍性は極楽寺界隈で初めて科学的なやり方でらい病といわれたハンセン病の治療の病院を建てた。貧しい人に食事を与え保護した。
また、孤児院を経営し、動物愛護のために牛馬の治療所を作ったらしい。
彼は奈良の人だ。奈良仏教である律宗から流れで新しい律宗を打ち立てた人のひとりらしい。
奈良時代はたぶん奈良周辺だけかもしれないけれど、民衆と天皇は近かった
だから、仏教も大衆を救うことを行った。その復興が鎌倉時代起こった。
奈良では西大寺という寺があるのだけど、なんで流行っているのか、さっぱりわからなかった。そこは忍性の師である叡尊が創建したお寺で彼らの本拠だったのだ。
彼は金沢文庫をつくった教養ある北条家の分家の人である金沢実時に招かれて、大政治家である北条重時に支援され、56歳のとき極楽寺を創建した。
その資金のため鎌倉の港の管理、全国の道や橋の建設の公共事業を行った。
まずはお金。同時代の日蓮に権力におもねる汚れた男と罵られたらしい。
師匠からも人の心を救う僧侶としてはとの批判はあった。
しかし、国家とは福祉でそのための資金や計画ができる男は必要なんである
彼は、若くして母をなくしたが、一人っ子でとても幸せな子供時代を送ったそうだ。お父さんは彼のために寺の事務員となった。
どうも福祉関係の人を見てると天才的な才能を持っている人は愛情に恵まれた人が多い。客観的に人が見れるからだろうか。愛は強さを育むのだ。
めったにいないのだ。それゆえに単発的な活躍で業績が埋もれる。それでも南北朝まではもったらしいから大したものだと思う。極楽寺のまわりに貧しい人たちの大きな街ができ、皆、土木や福祉の彼の仕事を手伝った。
自ら、らい病の人にふれ、手当てした。もっとも、医学史として研究した人によると、らいとは皮膚病全般で、インキンタムシの症状とか色々な病気が含まれていたようだ。だから、衛生と栄養でかなり改善した。
また、口を濯ぐ事、歯磨きも初めて奨励されたようだ。
だから、治る人は治った。人々には奇跡に見えたと思う。
その科学的なやり方を日本や中国を万巻の医学書を読破し、仮名で書かれた医学書を書いた梶原性全という人が実行した。
仮名書きって、御成敗式目やん。彼はどうやら、族滅された梶原家の子孫のひとりらしい。
また、族滅された比企家のお母さんから生まれてグレた北条朝時の未亡人である、なごえの尼も支援をした。
日蓮が追放されていたころ、なごえの尼は忍性に宗旨を鞍替えしたらしい。
その怒りが忍性に対する罵倒になった。心を救うことは確かに大切なことだけれど、具体的な支援も両輪だ。色々と考えさせられる話だ。
忍性の肖像画が表紙になってたけど、もろ奈良のおっちゃんで興味深い人だなって思う。