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「風の歌を聴け」を盗む

 村上春樹の「風の歌を聴け」は群像新人賞の新聞広告が印象的だった。これまでにない新鮮な題名だったから。文庫になってから、弟が評判の小説だったから読んでみたけど、良かったので貸してあげるよっていわれて読んだ。神戸が舞台で、子供のころから、田舎にいくたびに通っていたし、大学時代も関わりのあった場所だから懐かしかった。カーラジオから流れる難病の少女の手紙、この世にたくさんといる、どう助けようもない境遇の人たち、自分ではなんともできない物語。すごく、心にひっかかった。

 でも、その後は小説ではなく、ほぼ、エッセイを読んでいた。安西水丸さんと組んだコム・デ・ギャルソン探訪記とか、村上朝日堂シリーズ。小説だと「中国行きのスローボート」は読んだ。高校のとき、地元から一緒に行った在日の子が、ソウル大学に入学して幸せになったという同級生の話に、すごく違和感があったから、読んでてつらかった。向こうにも差別ってある。人間の社会だから。そんな簡単な解決はない。彼とは一度も口をきいたことがない。真っすぐに前を向いてた彼には、金持ちの娘のくせにいじけていた私など、目に留まらなかっただろう。

 本格的に彼の小説を読み始めたのは子供を産んでからだと思う。まずは、オウムの事件にちょっとした関わりがあってインタビュー集でもあった、「アンダーグラウンド」を読んだ。そして、司馬遼太郎のエッセイでいつか小説に書いてみたいと記されていたノモンハンにひかれて、長編である、「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ。一番好きな小説だ。

 そのころかな。実家に行ったとき、弟の本棚の隅っこに置いてあった表紙のない「風の歌を聴け」を盗んで持ってかえってしまったのは。私の本だと思った。でも、ひどい罪悪感も感じた。忙しくて家にいない弟には、みんなが読んでた本のひとつでしたかないのだから。それは、一度読んだが、今も家の片隅のどこかにある。

 その後、ぽつぽつと彼の小説を順番を追いつつも読んでいる。最近では、短編集「女のいない男たち」の「木野」に胸を突かれた。個人的な物語から紡ぎだされる私たちの物語。

 そして、「騎士団長殺し」で、彼は海の見える町の話を再び語ったのだなって思った。私も海が好きだ。田舎の海岸でたたずんでずっと海をみていた、世話してくれた祖母が好きだった。そして、海の見える町で、紡ぎだされる物語が身にしみてくる。そして、祖母や先祖が隠した物語のことにも、思いをはせた。そして、小説のなかで生き残った登場人物たちに幸せになってほしいと感じた。

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