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大雨の中でも 高山寺に行く

 やっとこさコロナが落ち着いたので、用事で大阪に行ってきました。こりゃ、疲れるなってことで、せっかくなので、コロナ、梅雨に合間をくぐって、京都に一泊して、かねてから行きたかった、高山寺に行ってきました。

 高山寺を実質的に開山した明恵上人のことは、中学生のころ、新聞で初めて知りました。若いころに自分は死んだと叫んで、片耳を切り落とした、えらいお坊様がいる。そういうことが書かれていて、思春期で、自分が子供のときより馬鹿になったと悩んでたので、ひどく心に留まりました。そんな人がいるのか。

 その後、河合隼雄さんのエッセイで知り直し、この人が比叡山で修業し、奈良時代以来の古い宗教を一時的に立て直した人物で、法然や栄西、親鸞に劣らないほど重要な人物であることを知りました。本格的に知りたいなって思ったのは、白洲正子さんの「西行」を読んだことかな。西行がただひとり歌論を語った人物として、明恵が出てきます。

 本の中で、和歌という芸術にいそしむことは業の深いことだからと、和歌の才能がある明恵にあまり熱心に歌わない事をさとし、そして、自分に和歌があふれるように湧き出すことは業であること。その業をつきつめる形でしか修行ができなかったことを不本意ながら認めて、それを誇りに思っていることを語っていたと思います。その後、河合隼雄の「明恵 夢を生きる」、白洲正子の「明恵上人」を読みました。

 ただ、明恵が住んでいた高山寺は京都市内でも山奥なので、実在していてもピンとこないところだったのですね。それが行きたいなって思ったのは、京都国立博物館での「国宝鳥獣戯画と明恵上人展」に行ったことだと思います。可愛い兎さんたちが活躍する絵巻もですが、高山寺の寺宝、とくに湛慶の明恵の御廟にささげられた犬の象に強く心惹かれたのです。

 行ってみたい、でも、観光が盛んでバスがいっぱいの京都で、あの山奥に行くのは大変だって気持ちでした。でも、今回、バスに人が乗ってない時期だから行ってみようと思いました、梅雨で迷っていたのですけど。幸いにも、月曜日、梅雨の合間の晴れだったので、ご縁だと思って行ってきました。

 バスは観光客が少なかったです。北山界隈には、子供のころよく父と弟とハイキングに行った思い出がありますが、高雄まで家が立て込んでいて長い年月が過ぎたのだなって感じました。ホテルのある四条河原町から40分ぐらいなので通勤圏なんですね。自家用車がすいすいと通っていきます。そして、杉の丸太のトラックが奥から降りていく。乗っている人はずいぶんとお年の方でした。えらく埃っぽい。さすがに高雄を過ぎると昔の深山になってきました。バスは、他に二人ほど、一番奥の寺、栂尾高山寺でおりました。やはり、同じことを考えた人はいたのですね。幾台かの自家用車がとまり、まあまあの人たちが来てました。名古屋ナンバーとか遠いところがばかりでした。女性のひとりドライバーも、すいすいと、もっと奥に走り去って行きました。

 せっかくだから、バス停から少し下った表参道を登っていきます。寺が見えてきました。

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